2009年10月10日

広島・長崎が20年夏季五輪招致検討 「平和」アピール

 広島市と長崎市が20年夏季五輪招致を検討していることが10日、明らかになった。第2次世界大戦で原爆を投下された両市が共催という形で立候補すれば、五輪憲章が掲げる「平和」の理念を世界にアピールできる。ただ、五輪は「1都市開催」が原則で、立候補へのハードルは低くない。

 両市は11日午後、秋葉忠利広島市長と田上富久長崎市長が出席し、広島市役所で共同記者会見をし、五輪招致委員会設置の詳細について明らかにする予定。日本オリンピック委員会(JOC)幹部によると、「JOC側に記者会見の予定を打診されたのは数日前。まだ、検討の段階と聞いている」という。

 五輪憲章は原則として1都市での開催を義務づけており、「共催」での立候補は異例。ただ、国際オリンピック委員会(IOC)理事会の承認を経れば、一部を他都市で開くことは認められている。64年東京五輪では馬術競技を軽井沢で開催した例がある。

 JOCは2日のIOC総会で東京都が16年夏季五輪招致に落選した直後ということもあり、20年五輪招致の国内候補都市をどうするかの検討には入っていない。ただ、総会直後に福田富昭JOC副会長が「東京に再挑戦してもらいたい」と明言するなど、東京の再挑戦を願う声は根強い。

 近年の夏季五輪は世界的に首都級の大都市が争うのが定着し、都市インフラ、ホテルの客室数、競技会場の後利用、交通網などを考えると、日本の地方都市の立候補は東京に比べると、ハンディを抱える。

 20年五輪の開催都市は、13年のIOC総会で決まる。16年五輪招致に東京が失敗した原因の一つに、08年北京五輪から8年後という間隔の短さを挙げる声はIOC委員にも多かった。夏季五輪は12年大会が欧州のロンドン、16年が米大陸のリオデジャネイロ(ブラジル)の開催で、20年はアジアにもチャンスがあるという見方はある。

posted by はなゆー at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHKで明晩放送「原発解体」「永山則夫」

●原発解体〜世界の現場は警告する〜
http://www.nhk.or.jp/special/onair/091011.html#
2009年10月11日(日)
午後9時00分〜9時58分 総合テレビ


深刻化する地球温暖化。各国のエネルギーの獲得競争。世界を巡る環境が大きく変わる中、今、原子力発電が注目されている。火力発電所に比べて大幅に二酸化炭素の排出が少なく、発電の出力が大きいからだ。

チェルノブイリ原発事故以降、脱原発の政策を続けてきた欧米。中国・インド・ロシアなどの新興国。そして産油国までも建設に舵をきった。世界で新たに導入の準備がすすむ原発の総数は100基にのぼる。

その陰で初期につくられた原発が役割を終えて解体されている事はあまり知られていない。

閉鎖された数は既に120基あまり。私たちは原発の大解体時代をむかえていたのだ。 国内にも「ふげん」と「東海発電所」の2つが解体に着手。取材クルーははじめて、知られざる原発解体の現場に密着した。そこでは放射線という一般の建物にはない特殊な環境下での厳しい作業が続いていた。次々と関係者の事前の想定を越える壁が立ちふさがる。さらに原発の解体は別の課題を抱えていることもわかってきた。解体した後に発生する大量の放射性廃棄物を処分する場所が未だに決まっていないというのだ。

世界の社会経済環境が大きく変わる中で高まる原子力発電へのニーズ。 一方で未だ解決の道筋がみえていない解体からでる廃棄物の行き先。この難しい問題にどう私たちは答えをだすのか。解体現場の取材からの報告。




ETV特集 第292回
●死刑囚 永山則夫 〜獄中28年間の対話〜
http://www.nhk.or.jp/etv21c/index.html
2009年 10月11日(日)
NHK教育 午後10時から11時30分

40年前の1969年、4人をピストルで撃ち殺し、“連続射殺魔”として逮捕された永山則夫。19歳で逮捕され、1997年に死刑を執行されるまでの28年間、永山は獄中で実に多くの対話を繰り返していた。

著名人や市井の人々との1万5千通を超える手紙でのやりとり、永山が人生で初めて心から信じた女性や、裁判を支えてきた支援者との面会室での会話や書簡などである。そうした対話をつぶさに見ていくと、当時の時代や永山を取り巻いていた環境、そして、揺れ動き変わりゆく永山の人間像が見えてくる。

裁判員制度や死刑制度に関心が注がれる現代。今回の番組では、未公開の書簡や、初めて明かされる証言などを数多く取り上げていきながら、永山と対話を深めた人を訪ね、当時を振り返り、現代にも通じるさまざまな問題について考えていく。



永山則夫聞こえなかった言葉
posted by はなゆー at 18:23| Comment(0) | TrackBack(1) | TVネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

民主党国会議員の「暗殺リスト」とも解釈できるものが作成された

☆一水会による民主党国会議員暗殺リスト!? (反米嫌日戦線)

http://anarchist.seesaa.net/article/129917517.html

それよりはむしろ「(総選挙前の時点で)まだ30人は残っている」と噂される民主党内反日議員を、一人ずつそれぞれ個別に集中攻撃をかけて潰していくべきであろう。そして櫛の歯が抜けるように少しずつ民主党議員の数を減らしていき、ついには自民党との大連立を余儀なくさせる。気の長い話だが今の我々には、これが最も有効な戦略に思えてならないのである。




《備考》

☆ウィキペディア「血盟団事件」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E7%9B%9F%E5%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

日召は、政党政治家・財閥重鎮及び特権階級など20余名を、「ただ私利私欲のみに没頭し国防を軽視し国利民福を思わない極悪人」と名指ししてその暗殺を企て、配下の血盟団メンバーに対し「一人一殺」「一殺多生」を指令した。「紀元節前後を目途としてまず民間から血盟団がテロを開始すれば、これに続いて海軍内部の同調者がクーデター決行に踏み切り、天皇中心主義にもとづく国家革新が成るであろう」というのが日召の構想であった。



☆ウィキペディア「血盟団」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E7%9B%9F%E5%9B%A3

日召は1931年、同志を集めて性急な国家改造計画を企てた。その方法として挙げられたのが、現政府の指導者一人一人を「テロ」によって血盟団員が「一人一殺主義」で暗殺してゆくというものであった。



昭和激流四元義隆の生涯
posted by はなゆー at 04:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする