2011年08月31日

〔史料〕厚生省は米国による(日本人の)「人体実験」に協力した

☆グアテマラ性病人体実験、規定放棄で1300人感染=米大統領委
(ロイター)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110830-00000363-reu-int

http://www.asyura2.com/11/lunchbreak50/msg/255.html

調査委員会によると、米公衆衛生当局の研究者は当時、ペニシリンの効果を試験する実験を行い、グアテマラの刑務所に収容されている受刑者や精神病院の患者ら約1300人に対し、梅毒などの性感染症に感染させた。中には、性感染症に感染させた売春婦と性交させられて感染した受刑者もいるという。

調査委員会は数千ページに及ぶ資料を調査。その中で、研究者は受刑者ら被験者をだまし、真実を伝えず、感染リスクから守ろうとしていなかったことが明らかとなった。





☆性病人体実験で83人死亡=グアテマラで―米大統領委発表
(時事通信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110830-00000068-jij-int

http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/866.html

米国が1940年代に中米グアテマラで、性感染症の治療をめぐる「人体実験」をしていた問題を調査している米大統領委員会は29日、実験で少なくとも83人が死亡したと発表した。

実験は46年から48年にかけ、当時は新薬だった抗生物質ペニシリンの効果を調べる目的で約5500人に行われ、このうち1300人が性病に感染した。実験に関する事前説明はなく、同意も取っていなかった。

売春婦を梅毒や淋病に感染させ、兵士や刑務所の受刑者らと性交させるなどして実験を行った。実験対象者には精神病患者も含まれていたという。




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☆武見太郎氏の証言−−厚生省はアメリカの人体実験に協力した。 
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/523.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2011 年 8 月 31 日 02:31:37

この記事が伝えるグアテマラでの人体実験とほぼ同時期に、アメリカが、占領下の日本で、発疹チフスに関する人体実験を日本の医学生を使ってやろうと計画して居た、と言ったら、皆さんは、驚かれるでしょうか?


発疹チフスについて(Wikipedia)
    ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E7%96%B9%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9


そして、その人体実験計画を、当時の厚生省が了解して居た、と言ったら、皆さんは、「信じられない」とおっしゃるでしょうか?


武見太郎氏(1904〜1983)と言ふ人物が居ました。

武見太郎氏について(Wikipedia)
    ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%A6%8B%E5%A4%AA%E9%83%8E

今の若い方は、御存知ないかも知れません。日本医師会会長を25年間に渡って務めた戦後医学界の重鎮です。理化学研究所で、仁科芳夫博士の下、核医学の研究に従事した後、1950年(昭和25年)から、日本医師会の台議員と成り、1957年(昭和32年)から1982年(昭和57年)まで日本医師会会長を務めた人物ですが、その武見太郎氏が、1979年に出版された著作の中で、上のグアテマラでの人体実験を想起させる様な実験を、占領下の日本でアメリカが計画し、厚生省が了承して居たと言ふ、驚天動地の証言をして居るのです。

本当に、驚くべき証言ですが、更に驚くべき事は、武見氏が1979年の著作の中で明らかにしたこの事実が、私の知り限り、日本のマスメディアが、今日に至るまで、取り上げようとして来なかった、と言ふ事実です。

一体、それは何故なのか?

少し長く成りますが、武見氏がその著書の中で暴露して居る事実をお読み下さい。


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 占領軍がまだ日本を占領していた昭和二十五年、発疹チフスがはやりました。国民は虱(しらみ)がたかっていたわけです。すると私のところに、司令部から公衆衛生福祉部長の部屋へ何日何時に出頭しろという連絡がありました。行くと、サムス准将、そのとき大佐ですが、彼の部屋の前に厚生省の偉い人がちゃんとすわっていて、「おい、何でもいわれたことは、はいはいと聞いておくんだぞ。あとからごまかし方を教えてやるから」という。

 私はそこでカチッときた。ごまかし方を教えてやるからというのは、ちょっと聞きずてにならない。私はそれまで役人とはつきあいがなかった。私がつとめていた理化学研究所というところは原子物理学の先駆で、まともな勉強ばかりしていたわけですから、いやしくも人をごまかすなどということを習うような暇はない。まともな真実と取り組む場所でしたから、そういう会話はほとんどありませんでした。私は驚き、その瞬間、腹は決まりました。

 サムス准将のところへ行くと、彼はたいへんなごやかな顔をして「発疹チフスは虱からくるという話があるが、ほんとうかどうか証拠があるか」と聞くので、私は「証拠はございません」。「アメリカにも証拠はないんだ。それならひとつ、医科大学の学生に虱をたからせて、発疹チフスになるかならないかやってみろ。厚生省はやってもいいといっているんで、実施段階は日本医師会がやれ。おれが命令するんだ」といいます。

 それで私は、「それじゃ100%治る薬がございますか」と、ないことを知っていたが、しらばっくれて聞いてやった。そうしたら、「100%とはいかないけれども、オーレオマイシンならばたいてい助かる」という。人権尊重などといって日本へ乗り込んできた野郎が、ふざけた話をするにもほどがあると思って、私は腹の中がむかついたけれども黙って話を聞いていました。

「一人でも犠牲者が出ると相すまないから、私は学生を人体実験するわけにはまいりません」と答えたところが、今度は何をいうかと思ったら、「そんならば死刑囚でやれ」という。私は、「死刑囚でも生きている間は人権は守られなければならないから、できません」といいました。すると、テーブルの上に足をガタガタッと乗せて、「おまえは戦争に負けたことを知っているか」という。「あれは軍人が負けたんで、ぼくらが負けたんじゃありませんよ。日本の医学は負けておりません」。そうしたら、「おまえは赤だ。あまえみたいな奴は出ていけ」というので、私は喜んで出ていった。そうしたら、外に厚生省の役人の偉いのがまだちゃんと待っていて、「おい、どうした」というから「ふざけるな」といって帰ってきたのです。

 そのときの厚生大臣は、吉田茂さんといとこ同士の林譲治さんでした。われわれはみな親戚仲間ですから、私のところへ林先生が電話をかけてきて、「おまえ、とんでもないことをしてくれたじゃないか」というから、「とんでもないことをしたのは厚生省なんで、ぼくじゃありませんよ」。よく聞いてみると、なんと驚いたこちに大臣はうそをいっている。私は「あなたは何も知っちゃいないんだから、あした朝ぼくが行ってよく話しますから、そこにちゃんと役所の人も呼んでおいて話を聞きなさい」。そうしようというので、私は翌朝行ったわけです。

 実情を話したら林さんが、「それはとんでもないことだ。そんなばかなことをいったんなら、おれがこれから行って談判する」といいましたので、ある局長が「大臣、そんなことなさったらたいへんです」という。「サムスが怒りますし、通訳も怒ります」という。

 これが役人の真骨頂です。私は、戦前、戦中、戦後を通じて、役人の正体をこれくらいはっきりつかんだことはない。国民を売り、国を売ることに平気なやつが、役人という生物です。無生物扱いにしては相すまんから、あえて私は生物扱いにするわけですが、それで、その局長がしゃくにさわったから、椅子を持って、大きな椅子だったけれども、ぶんなぐってやろうと思ったら、林さんがサッとつかまえて、「役所の醜態をさらけ出してまことに申しわけがない。あとは大臣として自分で処理いたしますから、お引き下がりください」という。だから、私はそれで引き下がってきました。

 そうすると、その翌日、今度はサムス准将が「日本医師会はハウス・クリーニングを要する」といって追放ともつかないようないいかげんなことをいってきました。私はそのあと最後に、「マッカーサーの命令ならぼくらは聞くけれども、あなたの私物の命令は聞きませんよ」と言って帰ってきたのです。そして、サムスが「日本医師会はハウス・クリーニングを要する」という手紙を全国の医師会に出したので、われわれはこんなばかとけんかしながら医師会をやっていてもしようがないからと、やめてしまったのです。

 そのときの会長は田宮猛雄先生といって、東大の名誉教授ですが、代議員会が開かれて、われわれが退職するときに「昔ならば切って捨ててしまうやつだけれども」云々といって、ちょっとあとで物議をかもしたが、私は、ほんとうに国歌に一朝事あるときには、人間の本性というものが出てくるものだと思います。役人には役人の本性が出てくる。軍人には軍人の本性が出てくる。本性を出すということは当然あっていいことだと思いますが、私が役人をきらいになったのは、そのときからです。役人といっても大勢いるが、私にかかわりのあるのは厚生省だから、厚生省の役人をきらいになったのはそれからです。

 役人がサムス准将に何をしたかとみると、女を世話し、料亭を世話する。あらゆる屈辱的なことをやって歓心をかい、役人の点数を上げていこうというのだから、これは日本の風土におけるしろものではありません。こういう役人どもを扱って、吉田さんは大宰相になったのだから私は尊敬しておりますし、偉いと思います。そしてさらに、そのとき吉田さんをぼろくそにいったマスコミは、あとからどんなにうまいことをいっても、とにかくこれは先が見えなかったといわねばなりません。

(武見太郎『21世紀は慢性肝炎が国民病になる』(サイマル出版・1979年)3〜7ページ)

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サムス准将に関するサイト
    ↓

http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~asano312/samusu.htm

今回暴露されたグアテマラでの人体実験と、武見太郎氏が暴露して居る占領下日本における発疹チフスの人体実験計画が似て居る事に驚くのは私だけでしょうか?

その事を考えると、当時のアメリカは、世界中でこんな事をやって居たのではないか?と言ふ疑念が頭をもたげずには居ません。


帝銀事件の事なども頭の片隅に浮かびますが、戦後世界の現代史を覆ふ闇は、医学においても深いと言はざるを得ません。



平成23年(西暦2011年)8月31日(水)
戦後66年目の夏に


西岡昌紀(内科医・元厚生省職員)





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〔メモ〕帝銀事件の真犯人は「731部隊」生き残りの人物であるとの説



帝銀事件 無限回廊 
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/teigin.htm

警視庁捜査2課で捜査主任をしていた成智(なるち)英雄警視は、極秘裡に捜査を進めており、死の直前に『別冊 新評』(1972年10月)に掲載された手記には、「アリバイその他で、犯人と認められる者は、結局、731部隊に所属していた医学博士の諏訪(三郎)軍医中佐(当時51歳)ただ一人となった。・・・体格・人相・風体は、帝銀、安田銀、三菱銀の生き残り証人の供述による犯人のそれとピッタリと一致している。」と書いている。当時、この証言を元にモンタージュ写真が作成されたが、成智が事件当時の諏訪中佐の動静を遺族や近所の住人に当ったり、写真を入手して検討した形跡がなく、また日本陸軍軍医将校名簿には諏訪三郎という軍医は存在しないということであった。該当する人物は諏訪敬三郎軍医大佐と諏訪敬明(のりあき)軍医中佐であった。

(略)

その頃、読売新聞の大木社会部次長は、731部隊の隊員を必死になって追跡していたが、警視庁から呼び出され、圧力をかけられた事実があった。大木が警視庁に行くと、藤田捜査本部長とGHQのイートン中佐と2世の服部中尉の3人が立っていた。大木はそこで次のように言われた。

「石井部隊(731部隊)は、対ソ戦に備えて保護し温存中である。これを暴かれては米軍は非常に困る。この調査から手を引いてくれ」

このことが明るみになったのは、のちに逮捕されることになる平沢貞通が最高裁で上告棄却によって死刑が確定したあとであった。

また、同じく読売新聞の遠藤社会部記者も、藤田捜査本部長から圧力をかけられた。藤田は遠藤に電話をかけて次のように言った。

「今、君のやろうとしている事件から手を引いてくれないか。権威筋からの命令でね」権威筋とはアメリカ当局のことである。「いろいろ関係があって、石井部隊を君一流のスッパ抜きでやられては困るので、とにかくやめてくれ。この埋合わせは他でするよ」

(略)

1967年(昭和42年)、甲斐文助警部の捜査記録が公表された。事件直後に顧問として招かれた石井四郎731部隊長が「犯人は軍関係者に違いない」と語っていたこと、731部隊が中国などで繰り返していた青酸毒物実験の手口が事件と同じだったことが暴露された。

(略)

松本は、平沢が事件直後に所持していた13万4000円の金の出所について、生活費を稼ぐため、春画を描いて売った金だから日本画の大家としてのプライドから白状できなかったと推論した。

小樽の親族によると、戦後に平沢は春画を描いていたという。また、横浜でも、平沢が描いたとされる春画が3枚見つかっているが、はっきりしていない。

(略)

GHQは731部隊に対し、極東国際軍事裁判で戦犯免責にするという条件と引き換えに、731部隊が持っていた細菌戦や生体実験データを入手していた。だが、この帝銀事件が起こったことにより、GNQはデータを入手したという事実が発覚することをおそれて、日本警察に対し圧力をかけたという疑いがある。

毒薬兵器の使用は、「陸戦の法規慣例に関する条約」(1907年のハーグ条約)で厳禁されており、細菌等の化学兵器の使用は、「窒息性、毒性またはその他のガス及び細菌学的戦争方法を戦争に使用することを禁止する議定書」(1925年のジュネーブ議定書)で厳禁されている。だから、GHQはデータを入手したという事実が発覚することをおそれていたのである。

だが、731部隊員は、特に青酸などの毒物の扱いに慣れていたわけではなかった。そうしたものの扱いに慣れていたのは別の部署だった。

東京の第6陸軍技術研究所、陸軍習志野学校、満州第516部隊だった。これらは、それぞれ化学兵器(毒ガス)の研究、教育、それに、実戦試用開発を受け持っていた。さらに、アセトシアンヒドリンを研究していたのは、謀略戦研究を受け持っていた第9陸軍技術研究所だった。






▼ この事件に関する「田仁」氏のコメント ▼

この事件(注:ここでは帝銀事件を指す)はコレだけでは終わっていない。

ぶっちゃけ!最近のイラク戦争でも、例のブッシュ大統領「戦闘終結宣言」以降、さらにゲリラ戦が継続して日々死傷者が軍民共に出続けているが、その混乱の最中、実に奇怪な事件が起きている。

それは、繁華街の出店で新開発の「香水」が新発売!皆さん寄ってらっしゃい!旦那さん、奥さんに如何よ?てな具合で、老若男女に匂いを嗅がせた事から始まった。

匂いを嗅いだ人々は皆一様に帰宅後に気分が悪くなり、約40人が重軽傷、数人死亡の惨事に発展、しかし警察の捜査は上手く行かず迷宮入りし、どうやら某情報機関の遅効性毒物の人体実験だった疑いが濃い。

ココからは推測だが、恐らくは中華人民共和国成立以前の国民党支配地域や、ベトナム戦争中の南ベトナム、中南米の「麻薬戦争」中にも類似の事件が起こっているのではないか。

ネットの捜査力が最大限発揮される事を願って止まない。

               ↓

☆モサドとCIAがイラクで毒香水販売? (2006年5月31日の「日刊ベリタ」

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200605310910493

【東京31日=齊藤力二朗】欧州諸国で訓練を積んだモサド(イスラエルの対外諜報機関)や米中央情報局(CIA)要員がイラクの市内で通行人に毒香水を嗅がせており、多数が死亡するに至っていると29日付のイラクのネット紙バスラ・ネットが報じた。「犯行」の目的などは報じていない。




★私は「帝銀事件」はカネ目当ての犯行ではなく、遅効性毒物の人体実験が目的だったのではないかと疑っている。犯人は、犯行の動機をカモフラージュするために銀行を犯行現場として選択し、犯行後に大金を強奪したのではないか?この大金(紙幣)を使ってしまえば、そこからアシがつくおそれがあるとして、犯人は奪った大金を使わずに焼いたとか、土中に埋めた可能性もあるように思われる(あくまでも憶測であるが)。




★私は未読だが「帝銀事件と平沢貞通氏」遠藤誠(注:弁護士だが故人)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E8%AA%A0
著。三一書房。1987年7月発行。

…によると帝銀事件の翌年に真犯人ではないかと思われる人物が九州で不審死(怪死)しているが、死因および捜査資料などについては全て不明とのことである。

posted by はなゆー at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ムンクの叫び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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