☆訃報 中田直人さん78歳=松川事件など弁護 (毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000103-mai-peo
http://www.asyura2.com/08/news7/msg/210.html
福島県の列車脱線転覆を巡る松川事件や、水戸地裁土浦支部の再審開始決定を東京高裁が支持し、検察側が特別抗告中の布川事件の弁護人を務めた。
☆ウィキペディア「松川事件」の項→
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
松川事件(まつかわじけん)とは、1949年(昭和24年)に福島県の国鉄東北本線松川駅 - 金谷川駅間で起きた鉄道のレール外しによる意図的な列車往来妨害事件。
下山事件、三鷹事件と並び、第二次世界大戦後の国鉄三大ミステリー事件の1つといわれている。
(略)
捜査当局は、この事件を当時の大量人員整理に反対していた、東芝松川工場労組、国鉄労働組合(国労)と日本共産党の謀議による犯行と断定。犯人と目した労働組合関係者20人(東芝松川工場労組・国労各10人)を次々に逮捕・起訴した。
1950年(昭和25年)12月6日の福島地裁による一審判決では、20人全員が有罪(うち死刑5人)、1953年(昭和28年)12月22日の仙台高裁による二審判決では17人が有罪(うち死刑4人)、3人が無罪となったが、裁判が進むにつれ被告らの無実が明らかになり、作家の広津和郎が中央公論で無罪論を展開。
また宇野浩二・吉川英治・川端康成・志賀直哉・武者小路実篤・松本清張・佐多稲子・壷井栄らの作家・知識人の支援運動が起こり、世論の関心も高まった。
1959年(昭和34年)8月10日、最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。検察側の隠していた「諏訪メモ」(被告達のアリバイを証明する文書。記録者の名から)が明るみに出て謀議がそもそも成立しなかったことが判明した。
1961年(昭和36年)8月8日、仙台高裁での差し戻し審で被告全員に無罪判決。

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