↓
http://www.r-yamane.com/magazine/backno/20020320.htm
山口敏夫さんからの手紙(3月20日)
差出人を先ず見る癖が身に付いているが、住所が書かれていない「山口敏夫」の文字にはビックリした。私信だと思ったからだ。しかし表を見てみると参議院会館707号室を記されたシールが貼られていたので、全国会議員に送られたものだろう。
鈴木宗男議員に対する証人喚問が行われたが、偽証罪として野党4党が告発したことに対する所感を述べたものだが、読み進んでみると、ご自身の被告発と検察捜査への疑問と不満に多くのスペースを割かれている。
かなり具体的な記述であり、しっかり検証してからでないとこの手紙に関する限り、安易に論評できないが、私が7年前、最初の埼玉県議会議員選挙に立候補した時、ご夫妻で拙宅を訪ねてこられ新進党の公認で出て欲しいとの要請を頂いたことがある。新進党の先行きに既に疑問を抱いていたこともありお断りし、無所属で出馬したという経緯がある。
私の地元、旧埼玉2区で議席を長く持っておられた方だけに、親しいお付き合いはなかったが、懐かしいお名前ではある。
☆ウィキペディア「山口敏夫」の項→
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%95%8F%E5%A4%AB
また、1993年の宮澤喜一内閣不信任案では不信任票を投じ、再度の自民党離党。渡辺をはじめ誰にも相談せず行動し、山口が不信任を投じると予想していなかった自民党内は大きな騒ぎとなった。無所属となった山口は、親友であった小沢一郎に協力して自民党分断を狙い、渡辺を自民党から離党させて非自民連立に取り込もうと画策するなど、無所属の立場を最大限に活かして立ち回った。
1994年、新進党結党に参加。しかし、翌1995年に東京協和・安全の二信用組合(同年東京共同銀行に統合)による乱脈融資事件に関与したとして、6月17 日に衆議院で証人喚問を受ける。12月に背任、業務上横領、詐欺の共犯容疑で逮捕状が出されて衆議院本会議で逮捕許諾決議が可決されて逮捕。新進党を離党。さらに、証人喚問における「余暇厚生文化財団の基本財産の流用への関与を否定」した証言が偽証として議院証言法違反も加わった。
(略)
背任、業務上横領、詐欺、そして衆議院予算委員会での証人喚問に於ける議院証言法違反などの罪で起訴され、2000年に東京地裁で懲役4年、2003年東京高裁で懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けた。最高裁は2006年12 月4日付で上告を棄却する決定をした。
皇帝のいない八月 【DVD】