高遠菜穂子
http://twitter.com/NahokoTakato米軍に散々な目に遭わされたイラクラマディのカーシムは「オキナワって民間人いるんだね。米軍基地の名前かと思ってた」と言ってた。
ワセック談「あの米軍がこんな美しい島から来てるなんて想像もしなかった。しかも、住民がこんなに被害を受けているなんて驚いた。そんな沖縄の人たちを全力でサポートしようと思って昨日の県民大会に参加した」そして昨日、沖縄の市民グループにカンパを渡していた。ありがと、ワセック。
ワセックが来日する少し前、私はファルージャ総合病院のマネージャーに手紙を書いた。激増する先天性異常の赤ちゃんについて教えてほしいという内容。医師からもらった写真はほとんどがいわゆる”奇形”。他に目立つのは口蓋裂と先天性心疾患。
ファルージャでは生後7日以内に死亡する新生児は2割を越えるという。今年1月から3月まで日本で診療見学していたラマディ母子病院も先天性異常、高い死亡率と同様の状況。ファルージャもラマディも日本から出撃してった米軍の猛烈な攻撃を受けた町。
湾岸戦争後のバスラ、ナジャフなどの南部。そしてイラク戦争での西部や中部。どこも約3年ほど経過してから赤ちゃんに異常が現れている。集中的に、しかも激増。ワセックには6ヶ月になる娘がいる。子どもができた時、とても不安だったという。結婚して子どもができてから戦争を語るのは辛いねと。
特に、ファルージャの病院からもらった赤ちゃんの写真を説明するのは辛いねと。戦争の惨劇と、今現在のファルージャの悲劇は語り部の口を重くする。
生徒の質問1「もしアメリカに行くことになったら、そこで何をしたいですか?」ワセック答「まずアメリカに行くのが心情的にキツイ。でも、イラクで米軍が何をしたか、イラク人が何に苦しんでいるか伝えたい」
ワセック答続き「アメリカ市民にもう二度と米政府に他国を攻撃させないでと要請したい」
生徒の質問「米軍の攻撃から逃げられなかったのですか?」ワセック答「親戚やお年寄りの避難をさせてから避難しました。その直後に突然攻撃が始まりました。ただ、避難先も包囲攻撃をされていました。ファルージャ総攻撃は、実はファルージャだけじゃなかったのです」
生徒の質問「アメリカのことどう思いますか?」ワセック「5年前は怒りと悲しみとで取り乱していた。でも、自分をコントロールして冷静になるよう努めた。戦争というやり方は破壊と死しかもたらさないから。本当の平和を求めるから、自分が平和になってこの問題に向き合うべきと思ったから」
私がワセックに初めて会ったのは、2004年8月。事件後初のヨルダン再訪でRYG(イラク再建青年グループ)のメンバーとの初ミーティングだった。あの時シリア国境近くの町カイムで結婚式の誤爆があり、メンバーがその直後の映像を撮影してきた。その3ヶ月後、ファルージャ総攻撃アゲイン。
二度目にワセックに会ったのが、2005年正月@ヨルダン。彼は米兵がミートフックで遺体を回収し、装甲車で遺体を引きずる様子を目の当たりにした時、怒りにうち震えたという。報復のためにレジスタンスに入ることさえ考えたという。しかし、彼は武器の代わりにビデオカメラを持った。
沖縄参加者「ワセックさんが“私にはイラク戦争を語る責任がある”とあったように、私も沖縄で訓練を受けた米兵たちがイラクへ送られたこの島に住む沖縄人の一人として、“知る義務”があると思います」
沖縄参加者「私は米軍基地のことを学んでいく中で”本当は何のために訓練しているのか?””この訓練は何に使われているのか?”と考えることが多くあります。アメリカの起こす戦争のために訓練しているという事は分かっていたけれど、目で見て感じたのは初めてでした」
沖縄参加者「今日の座談会で少し、ほんの少しかもしれないけど“心”で戦争とは何なのか、軍隊とは何なのかを考えられたと思います」
沖縄参加者「テレビで知る情報ではふわっと触れるぐらいなので、自分ごとには感じていなかったけれど、そこに(ファルージャなど)住んでいる「人」はやっぱり同じ「住む人」だ。怒りや悲しみも画面越しではなく、生の声として聞けた。本当にあの映像ももっと多くの人が知るべきだと思った」
沖縄参加者「沖縄にいて、”基地”というかたまりでしか知らず、その中でどのような訓練をし、実際何をしているのかなんて考えたこともないまま、多くの沖縄の人が生活をしていると思います。もちろん私もその一人」
沖縄参加者「私は基地とのつながりを持たざるを得ない人が身近にいるので正直フクザツな立場にいますが、だからこそ今日は来ようと思いました。結局は弱い立場の人に(一般住民はもちろん、米兵も米国でも底辺の人なので、広い意味ではそうなるのかと考えてしまう事もある)しわ寄せが来るんですね」
沖縄参加者「これまで漠然とイメージしていた人の加害性をより具体的に学ぶことができました」
沖縄参加者「聞いてみて、心が痛いのを通り越して透明になりました。“間違った判断をしないために、知る” という言葉、心に強く刻まれました」
イラク検証に関する取材を受けました。イラク戦争は、意図的にもたらされた「情報」で始められたが、それが濡れ衣だったことが公になり、攻撃した本人たちも「誤報」だと認めた。イラク人にすれば、見に覚えのないことで「世界の警察アメリカ」に「死刑執行」されたようなものだ。冤罪。
おそらくイラクに行った人なら一度はそうした思いをイラク人からぶつけられたことがあるのではないかしら。ファルージャの人が怒り叫ぶ姿は何度も繰り返し報道されても、彼らが目撃したものが報道されることは極端に少ない。報道されてもモザイクがかかる。
再び沖縄へ。今日は「ヤング」な集まりとのこと。ワセック、イラクの被害者、犠牲者の代弁をします。
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fusou_island(生まれ育った小さな島に平和を築くために呟いてます)
http://twitter.com/fusou_island▼ 鳩山首相あてメッセージ ▼
首相、どのウタキも、どのグスクも、私に語りかける言葉は一つしかありません。「命どぅ宝」(いのちこそたから)です。島からの基地の撤去は今、生きている人だけの願いではありません。これまで死んでいった人、これから生まれてくる人の願いなのです。
首相、私はどこにでもいる、ただの沖縄のおばちゃんに過ぎません。この私はイラク戦争開戦を伴に見た人の妻となり、数十年暮らした島を離れ、そして東京の近くで暮らす間に50年に一度と言われる政権交代が起き、
幼い頃から20年以上見続けた普天間基地が今、動こうとしている。余りにも偶然としては話がおかしいぐらいの重なりを続けています。私はもうすぐ、東京を離れ、主人の母のいる田舎に戻ります。首相、それまでに普天間基地を「なくして」下さい。移転ではありません。
沖縄はイラク・アフガンへの前線基地です。沖縄の米軍基地があるからイランとアフガニスタンでは戦争が続いているのです。みなから酷いやり方をして徴収したお金の使い道を決める人たちがそれを応援しているのです。
首相、このままでは自殺率をこれ以上減らすことも、子どもたちのいじめをやめさせることも、児童虐待が起こらないようにすることも出来ません。国が率先してそれをやっているのが現状なのです。沖縄でデジャブまで見た眼からみたらそれは動かしようのない事実です。
人の暮らし、人間の命は信じられぬような大いなる自然の力によるものです。それを人間の手でぶち壊すなど−首相、首相は私たちに自殺をしろといっているのですか?そうなんでしょうね。私これまで4回自殺未遂繰り返してますから。
首相、沖縄に基地を造るのなら、私を首相官邸前で公開処刑にしてからにして下さい。首相ご自身の手で私の首をぶったぎって下さい。違う文化を持っている沖縄の人間のいのちなど、あなたにとっては何でもないのでしょうから。
本土におりましたので、今回の県民大会まで帰る余裕もなく、何とか今回戻りました。そして、確信致しました。間違いなく、この海、この森、そしてこの島で死んでいった人達、これから生まれてくる人達の繋ぎとして私は存在していると。
島と伴に生まれ、島が滅ぶ時、また伴に滅びたい。グスクやウタキであった人達のところへ帰るだけのことです。首相、島に基地を造るというのなら、首相官邸前で私の首をぶった切ってからにして下さい。
▼ 高遠菜穂子さんあてメッセージ ▼
こんにちは。初めてご連絡を差し上げます。関東に在住しておりますが、沖縄で生まれ育ち、県民大会に併せて帰郷し、現在、島におります。私は、イラク戦争前日の嘉手納飛行場をこの眼で見ております。
イラクの人達に申し訳ない、その想いをこの10年近い時間というものずっとずっと胸の奥に抱いて参りました。その気持ちから自ら死を望み、4回実行に移しましたが、死ぬことは出来ませんでした。25日の県民大会にワセックさんが来沖なさったことを知り、どうしてもこの口でお詫びを申し上げねばと、那覇空港のゲートまで参りましたが、時間が合わず、お眼にかかることが出来ませんでした。今ももだ島におりますゆえ、ただ、遠くからワセックさんのお姿を拝見することが出来ればいい、そう願っております。
本日も来沖なさっておられるということで、せめて遠くからでも、ワセックさんのお姿を一目この眼に拝し、お詫びを心で申し上げたく存じております。これから新聞などでワセックさんがいらっしゃる場所を探して足を運びたく存じますが
高遠さんだけでも是非、お眼にかかりたいと思っています。そして、ワセックさんにお詫びをお伝え頂きたいです。直接私が申しあげたところで、びっくりなさると思いますので、これが私の運命かもわかりません。