☆不倫!民主党・青木愛議員、小沢氏秘書とお泊まり愛
(サンケイスポーツ。9月9日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100909-00000501-sanspo-enthttp://www.asyura2.com/09/geinou2/msg/292.html「週刊新潮」の特集記事によると、青木氏は小沢氏の出馬会見を見届けたあとの8月31日午後6時15分頃、乗用車を自ら運転し、首都高から常磐道を140キロで爆走。同9時頃、JR水戸駅付近のホテルで、小沢氏の政策秘書と落ち合った。
青木氏と政策秘書が逢瀬する数時間前、永田町の民主党本部では300人以上の報道陣を前に「仲間に推挙していただいて、代表選出馬を決意した」と熱く出馬の決意を表明をした小沢氏。その直後にガールズの“センター”と右腕の政策秘書がホテルで密会していたのだから、その衝撃度はかなりのものだ。
同誌では、青木氏と政策秘書が焼肉店で仲むつまじく食事する姿や、ホテルに戻った青木氏が、チェックインしないまま客室用のエレベーターに乗り込む様子などを報じ、政策秘書は「偽名」で宿泊していたとも指摘している。
青木氏は独身だが、政策秘書には妻と3人の子どもがいる。党関係者によると、政策秘書は代表選がらみの仕事で、水戸市に“先乗り”していたものとみられる。そこに青木氏が猛スピードで駆け付けた図式だ。
☆W不倫疑惑の青木愛議員 素顔見えない政治家の行状
(J-CASTニュース。9月9日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100909-00000006-jct-socihttp://www.asyura2.com/09/geinou2/msg/293.htmlそれによると、青木議員は、小沢氏が代表選に出馬表明した8月31日、茨城県水戸市内で政策秘書と会い、焼肉店に寄った後、一緒にシティーホテルに入った。青木氏は、チェックインもチェックアウトもしていないことから、政策秘書と同じ部屋に入ったとしている。秘書は、偽名で宿泊したという。
新潮によると、青木氏は、取材に対して「知りません」と否定し、その後の再取材には応じなかった。政策秘書は、同じ部屋に泊まったかについて、あいまいな返事をしたという。
一方、文春の記事では、小沢氏出馬表明前の8月14日、青木議員は、京都・鴨川の旅館であった宴会後に小沢氏と2人だけで会った。そして、窓越しから手をつなぐような素振りが見えたといい、手が重なり合うようなシルエットの写真なども載っている。新潮も、記事の中で2人のこうした写真があることに触れている。
☆メディア発 議員票狙う 激突 民主党代表選
(産経新聞。9月10日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100910-00000113-san-polhttp://www.asyura2.com/09/geinou2/msg/294.html代表選では、ちょっとしたマイナスイメージが命取りとなる。9日、小沢最側近の衆院議員、青木愛の“密会疑惑”を伝える週刊誌2誌が発売された。特に「週刊文春」は小沢本人と青木の親密すぎる関係を報じている。
菅陣営は「いいタイミングだ」とほくそ笑み、小沢陣営は「菅陣営の謀略だ」と憤る。代表選はパフォーマンス合戦に加えて泥仕合の様相も呈してきた。
《職業柄、男女の機微には詳しい女性漫画家のツイート》
牧村しのぶ(漫画家)
http://twitter.com/ShinobuMakimura/status/24075635798「週刊文春」と「週刊新潮」の青木愛議員不倫報道には何と同じ写真!が使われている。日本テレビがオンエアしなかった素材を流出。
その素材を使いスクープでっちあげ。呆れ果てる。
牧村しのぶ(漫画家)
http://twitter.com/ShinobuMakimura/statuses/24075940209オンエアしなかったということは、取材不足でオンエアできないレベルということだろう。仕事の打合せ、会食くらい当然だし。小沢一郎は妻の手製のふんどしをはいている。それで不倫と言うのは、事実なら爆笑ものだ。ホテルで密会スキャンダル、ときたら、どうしても菅直人を思い出してしまう。
牧村しのぶ(漫画家)
http://twitter.com/ShinobuMakimura/status/24083613652週刊新潮の青木議員と秘書氏の不倫疑惑記事も唖然。焼肉店で秘書氏(子3人)が肉を焼き、青木議員はワインを飲む。政治の世界で先輩であり大人の、メンターに当たる男性にデートで肉を焼かせるか?笑っちゃう。
牧村しのぶ(漫画家)
http://twitter.com/ShinobuMakimura/status/24083719644どう見たって国会議員と秘書が打合せを兼ねて食事し、秘書が職業柄接待役で肉を焼いていた光景である。男女の仲なら、違うふるまいがあるはず。しかしそれはない。ホテルで密談というのも政界では普通。書いてある記事もインタブもまるで信じられない。
《昨日のツイッター・アーカイブ》
山口一臣(週刊朝日編集長)
http://twitter.com/kazu1961omi/status/23997793295文春、新潮でまったく同じ写真が出てますね。小沢氏と青木氏が並んでるやつ。これはネタ元が同じ可能性が高いですね。
Masato Mizutani(編集者)
http://twitter.com/kyobonbon/status/23997860926今日の日刊ゲンダイがネタ元は日テレだと報道していますよ。
Masato Mizutani(編集者)
http://twitter.com/kyobonbon/status/23998117279本日の日刊ゲンダイ9面を見てください。「報道スキャンダルだ」という見出しも付いています。
山口一臣(週刊朝日編集長)
http://twitter.com/kazu1961omi/status/23998503958流出元は日本テレビ。オンエアしていない素材が流れたということで、いま社内は騒然のようです。誰が、どんな意図を持って持ち出したのか。犯人がだんだん絞れていきます。
山口一臣(週刊朝日編集長)
http://twitter.com/kazu1961omi/status/23999395741ネタ元の最大の失敗は2誌に同時に出したこと。普通あり得ない。なぜなら週刊誌側としては独自のスクープにしたいから。これではネタ元がどの筋かバレバレですわ。
《おまけ》
☆1988年アメリカ合衆国大統領選挙
http://ja.wikipedia.org/wiki/1988%E5%B9%B4%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E9%81%B8%E6%8C%991987年の初頭の時点では、上院議員のゲイリー・ハートが出馬を表明していた候補の中では明らかな先行候補であった。(民主党はこのほか、ニューヨーク州知事 マリオ・クオモも候補として考えていた。) ハートは1984年アメリカ合衆国大統領選挙の民主党予備選挙の経験があったことも彼を有利にしていた。しかし、ハートにはマイアミヘラルドが女性スキャンダルをスクープし、1987年5月には一時選挙キャンペーンからの撤退を迫られている。1987年12月ハートは大統領選挙に復帰した。けれどもハートはダメージを負っていた。
(略)
ブッシュは予想外にもアイオワ州の党員集会でドール、ロバートソンに敗れ3位に終わった。ドールはニュー・ハンプシャー州党員集会でも優勢であった。ブッシュ陣営はテレビコマーシャルでドールを「増税男」だと表現し、州知事スヌヌはブッシュへの支持を訴えて遊説して回った。これらの作戦が功を奏し、ブッシュはドールを破り、大きな勢いをつけた。敗れたドールは非常に落胆しテレビでブッシュに「私のことについてウソを言いまくるのはやめてくれ」と話した。スーパーチューズデーともなると,ブッシュは強力な組織力と資金面で優勢な立場となり、他の候補者を寄せ付けず、結局ブッシュが指名されたのであった。 共和党全国大会がニューオーリンズで開かれ、ブッシュは全会一致で指名された。
☆Gary Hart
http://en.wikipedia.org/wiki/Gary_HartHart declined to run for re-election to the Senate, leaving office when his second term expired with the intent of running for president again. In January 1987, he was the clear frontrunner for the Democratic nomination in the 1988 election.
Hart officially declared his candidacy on April 13, 1987. Rumors began circulating nearly immediately that Hart was having an extramarital affair. In an interview that appeared in the New York Times on May 3, 1987, Hart responded to the rumors by daring the press corps: "Follow me around. I don't care. I'm serious. If anybody wants to put a tail on me, go ahead. They'll be very bored." The Miami Herald had been investigating Hart's alleged womanizing for weeks before the "dare" appeared in the New York Times. Two reporters from the Miami Herald had staked out his residence and observed a young woman leaving Hart's Washington, D.C., townhouse on the evening of May 2. The Herald published the story on May 3, the same day Hart's dare appeared in print, and the scandal spread rapidly through the national media. Hart and his allies attacked the Herald for rushing the story into print, claiming that it had unfairly judged the situation without finding out the facts. Hart said that the reporters had not watched both entrances to his home and could not have seen when the young woman entered and left the building. The Miami Herald reporter had flown to Washington, D.C. on the same flight as the woman, identified as Donna Rice. Hart was overwhelmed with questions regarding his views on marital infidelity. His wife, Lee, supported his position that the relationship with the young woman was innocent. A poll of voters in New Hampshire for the New Hampshire Primary showed that Hart's support had dropped in half, from 32% to 17%, placing him suddenly ten points behind Massachusetts governor Michael Dukakis.
On May 5, the Herald received a further tip that Hart had spent a night in Bimini on a yacht called the Monkey Business with a woman who was not his wife. The Herald obtained a photograph of Hart sitting on a dock wearing a Monkey Business T-shirt, with then-29-year-old model Donna Rice, sitting on his lap. The photograph was then published in the National Enquirer. On May 8, 1987, a week after the story broke, Hart dropped out of the race. At a press conference, he lashed out at the media, saying "I said that I bend, but I don't break, and believe me, I'm not broken." A Gallup Poll found that nearly two-thirds (64 percent) of the U.S. respondents it surveyed thought the media treatment of Hart was "unfair." A little over half (53 percent) responded that marital infidelity had little to do with a president's ability to govern.
Not everyone was impressed with Hart's diatribe against the press. Television writer Paul Slansky noted that Hart had tried to deflect blame from himself for his downfall to the media, and that he offered no apology to betrayed supporters who now suddenly had to find other candidates to back. To many observers, the press conference was redolent of Richard Nixon's "Last Press Conference" of November 7, 1962, in which Nixon blamed the media for his loss in the 1962 California gubernatorial election. Hart, in fact, received a letter from Nixon himself commending him for "handling a very difficult situation uncommonly well" .