「当初の計画では肉厚の配管を使う予定が、いつのまにか薄い配管になってしまっていたのだった」
☆「福島原発は欠陥工事だらけ」担当施工管理者が仰天告白
(週刊朝日2002年9月20日号)
http://www.wa-dan.com/article/2011/03/post-84.phphttp://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/306.htmlじつは、菊地さんは今回問題になっているGEIIの前身のGETSCOの元技術者で、東海第二(78年運転開始)と福島第一の6号機(同79年)の心臓部分である第一格納容器内の建設に深くかかわっている。GETSCOは沸騰水型炉を開発したGEの子会社で、GEがこの二つの原子炉を受注したのだ。
菊地さんの当時の立場は企画工程管理者といい、すべての工事の流れを把握して工程のスケジュールを作成する電力会社と下請けとの調整役だったという。現場では、自分の作業内容しか知り得ない技術者がほとんどだが、第一格納容器の隅々までをつぶさに知る数少ない人物の一人だ。
「建設中に工事の不具合はいくらでも出てくる。数えたらキリがない。当然のことですが、ちゃんと直すものもあります。でも信じられないことでしょうが、工期や工事費の都合で、メーカーや電力会社が判断して直さないこともあるんです。私が経験した中では、福島第一の6号機に今も心配なことがある。じつは、第一格納容器内のほとんどの配管が欠陥なのです。配管破断は重大な事故に結びつく可能性があるだけに、とても心配ですが......」
ほとんどの配管が欠陥とは、穏やかな話ではないが、どういうことなのだろうか。
主要な配管の溶接部分についてはガンマ線検査があるため、溶接部分近くに穴があいており、検査が終わると、外からその穴にガンマプラグという栓をはめていくのだそうだ。ところが6号機の第一格納容器内では、プラグの先が配管の内側へ飛び出してしまっている。仕様書では「誤差プラスマイナス0ミリ」となっているのに、最大で18ミリというものまであった。
原因は、度重なる設計変更だ。当初の計画では肉厚の配管を使う予定が、いつのまにか薄い配管になってしまっていたのだった。
担当外だった菊地さんが気づいてすぐに担当部署に相談したが、最終的には配管工事を請け負った業者の判断に一任され、結局、直されることはなかった。
菊地さんが続ける。
「確かに配管を直したら、プラグの発注から始まり検査や通産省立ち会いの耐圧試験も含め、半年や1年は工事が延びたと思う。工事が1日延びれば、東電側に1億円の罰金を支払わなければならないというきまりもあった。GE側は業者の判断によっては違約金の支払いも覚悟していたが、最終的には業者側の直さないという判断を尊重した形になった。でもこの配管を放置しておけば、流れる流体がプラグの突起物のためにスムーズに流れなくなり乱流が生じ、配管の一部が徐々に削られていき、将来に破断する可能性だってある。それが原因で、何十年後かにドカンといくかもしれないのです」
(略)
では工事をチェックする立場の国は、何をしていたのだろうか。菊地さんがこう説明する。
「まったくあてになりませんね。通産省の検査のときに、養蚕が専門の農水省出身の検査官が来たという話も聞いたことがあるほどです。現場では国の検査に間に合わなくて、ダミー部品をつけておいて、検査が終わってから、正規の部品に取り換えるということもやった。もちろん、検査官は気がつきませんよ」
こんなこともあった。
東海第二の試運転を前に国の検査があった。だがその前日、電気系統がトラブルを起こし、使えなくなってしまったという。試験当日は国の検査官を前に、作業員が機械の前で手旗信号で合図し、電気が通って機械が作動しているように見せかけた。それでもしっかりと「合格」をいただいたというのだ。まるでマンガのような話だ。本当に、おかしなことを挙げていけばキリがないようだ。
「いかに国の検査が形式的でいい加減なものかということがわかるでしょう。何よりも問題なのは、いい加減な検査を受けた原発が、いま現在も動いていて、国が安全だとお墨付きを与えているということなのです」
(略)
同社は日立製作所が受注した福島第一原発4号機(78年運転開始)の原子炉圧力容器を製造していたが、製造の最終過程でトラブルが起こった。高さ約21メートル、直径約6メートルの円筒形で厚さ約14センチの合金鋼製の圧力容器の断面が、真円にならず、基準を超えてゆがんだ形になってしまったというのだ。
これも冗談のような話なのだが、容器内部に3本の大型ジャッキを入れ、610度の炉の中に3時間入れてゆがみを直したというのだ。田中さんは当時、原子力設計部門から別部門に異動していたが、急遽呼び戻され、どれだけの時間をかけて、何度の熱処理をすべきか解析作業を担当させられた。作業は国にも東電側にも秘密裏で行われ、ゆがみを直した後、東電に納入されたのだという。
(略)
なぜ、こうも国はちゃんと調べずに安全宣言を出してしまうのか。そして何よりも恐ろしいのは、この福島第一原発4号機も、その後も十分な検証が行われないまま、今も稼働しているということだ。
「根本的な問題は、電力業界の体質そのものです。彼らには罪の意識はまったくなく、逆に合理的な判断の上に成り立っていると思っている。それは給電の計画変更などのコストの問題、同じ構造の原子炉を持つほかの電力会社への影響など、結局は電力会社サイドの勝手な都合で決められている。国も『あうんの呼吸』でそれを見守ってきた。国も電力会社も原発が壊れるまで『安全だ』と言うのでしょう。いつかはわからないが、大事故は必ず起きる。早急に脱原発の方向に切り替えるべきだが、その前に、せめて国の技術的なレベルを上げ、原発に対する管理能力をきちんとすべきです」(田中さん)
最近、70年代半ばに通産省の検査官が逆に東電に損傷隠しを指示した疑惑も報道されている。まさに「あうんの呼吸」を持つ官業もたれ合いの原子力行政そのものであり、「原発は安全だ」と喧伝する中で、官業一体となって「損傷隠し」までしてきてしまったというわけだ。
いずれにしろ、欠陥だらけの原発が稼働し続けているという、この恐ろしい状態を脱するには、保安院でも東電でもない第三者機関にきちんと調べてもらうしかない。
《関連記事》
☆建築基準法より甘い原発の設計基準
(2005年12月6日のJANJAN)
http://www.asyura2.com/0505/genpatu3/msg/318.htmlこの表で、S2−Nはマグネチュード6.5の深さ10KMの直下型地震を設計用限界S2として採用した場合である(島根3号除く)。これが記述されている原子炉はS2よりS2−Nのほうが大きく設計用限界地震はS2−Nで代表される。このタイプの原子炉は全57基の原子炉の過半数の29基に及ぶ。しかも、これらの原子炉は最大加速度が370GAL、震度6.8までは放射能もれを防ぐがそれ以上では必ずしも保証の限りでは無いのである。建築基準法では1ならば震度6(<震度7.0)では一部損壊はあるが倒壊しないとしているのと比べると震度6.8を超えると放射能漏れを起す可能性があり、明らかに建築基準法より甘いのである。
これは、どんな地震にも耐え放射能は漏れませんと言ってきた電力会社の説明が如何に無意味かを示すものである。しかも、同じM6.5、震源距離10KMの直下型地震を想定してもサイトごとに地盤が異なり、最大加速度はサイトごとに異なるはずなのにほとんどが370GALと判で押したように同じなのである。これは原子力安全委員会の業界寄りのご指導の賜物である。とにかく、過半数の原子炉は震度6.8以上では放射能漏れを起さない保証は何も無く建築基準法より甘いのである。
☆内部告発!浜岡原発の骨材試験で虚偽報告
(2004年7月30日のJANJAN)
http://www.asyura2.com/0403/genpatu2/msg/289.html 巨大地震の発生によって放射能災害を併発する「原発震災」が心配されている静岡県御前崎市の浜岡原子力発電所(中部電力株式会社)の建設時に、コンクリート骨材(砂利、砂)を納入した会社の元従業員が、骨材の試験結果を偽造し「無害」との虚偽の報告を続けていたことを内部告発した。国の機関である経済産業省の原子力安全・保安院に対しても27日、「原子力施設の安全情報に関する申告」の手続をとった。
元従業員の「申告」によると、浜岡原発4号機の建設(1989年〜93年)前後のことで、コンクリート骨材(砂利、砂)を納入していたのは、生産業者の小笠開発株式会社(御前崎市)と販売業者の安倍川開発株式会社(静岡市)。
80年代前半から問題になり始めたアルカリ骨材反応(セメント中のアルカリ成分が骨材中の鉱物と反応を起こし、コンクリートが過度に膨張し、コンクリートに粉状化、ひび割れの発生、湾曲、崩壊などが起こる現象。阪神高速道路、山陽新幹線などで問題化した)について、告発した元従業員自身が公的試験機関(財団法人建材試験センターなど4機関)の試験結果を偽造したり、サンプルのすり替えるなどの方法でごまかし、生コン業者、ゼネコン、中部電力に対して「アルカリ骨材反応性試験においては無害である」と虚偽の報告を続けていた。4号機のコンクリート打設終了時までに約100万トンに及ぶ「危険性のある材料」を納入したという。
元従業員は「申告」の中で、骨材会社の製造管理部門に在籍し、89年までは文書の改ざん(4回ぐらい)、89年以降は主としてサンプルのすり替えによる「無害報告書」を作成する当事者だったことを認めている。この改ざん方法が改められていなければ、いま試験運転に入った5号機の建設(1999年〜2004年)でも同様の骨材が納入された可能性が高いという。
浜岡原発が立地する東海地方には「マグニチュード8」を超える巨大地震の発生が予測されている。地震が原発の爆発を誘発する「原発震災」を引き起こせば取り返しのつかないことになると、「原発の運転停止」を求める国民的な運動も進んでいるが、原子力発電所の基礎構造や上屋をつくったコンクリートが破壊しやすい欠陥商品だったという新しい事実は、「原発震災」の不安を一層かき立てることになった。内閣総理大臣と静岡県知事は早急に「原発の運転停止」の措置をとるべきだ。
☆浜岡原発の告発続報!悪夢に心苦しむ
(2004年7月31日のJANJAN)
http://www.asyura2.com/0403/genpatu2/msg/294.html 静岡県御前崎市の浜岡原子力発電所(中部電力株式会社)を建設したコンクリート骨材(砂利、砂)の試験結果について、虚偽の報告を続けていたことを原子力安全・保安院に内部告発した骨材会社の元従業員A氏(45)は30日、インターネット新聞『JanJan』の取材に対して、「阪神大震災の光景をみてから自分がやってきたことに心が苦しんでいた」と語った。
A氏が勤めていたのは、コンクリート骨材(砂利、砂)の販売業者である安倍川開発株式会社(静岡市)。子会社の小笠開発株式会社(御前崎市)が生産した骨材を親会社の安倍川開発が販売する関係にあり、A氏は安倍川開発に26年余り在籍したが、そのうちの17年は小笠開発に出向し、生産する骨材の品質管理など製造管理部門を担当していた。
A氏が原子力安全・保安院に知らせた事実は、自らが虚偽申告に関わった浜岡原発4号機(113.7万KW)の建設(1989〜93年)に関する部分だけで、着工の5年ぐらい前から準備に入った。そのころはすでにアルカリ骨材反応が問題になっており(1982年頃から阪神高速道路で被害が発見された)、着工1年ぐらい前に、建設省(現国土交通省)の指針に従って試験をした結果は基準値を大幅に上回っていた(ひどいものでは10倍ぐらい)が、いまさら設計変更をしていると工事が大幅遅れになると、公的試験機関が実施した試験結果を改ざんすることになり、4回ぐらい文書偽造をしたという。
1989年の着工以降は、建設省の試験指針もだんだん改ざんが難しい方法に改まったことから、サンプルそのものを別の骨材とすり替える方法がとられるようになった。したがって、小笠開発→
安倍川開発が納入した浜岡原発4号機のコンクリート骨材のすべて(約100万トン)がアルカリ骨材反応性試験は「不合格品」だという。
A氏の話によると、3号機(110万KW)の建設(1982〜87年)についても、4号機と同じ採取地の骨材を使用しており、同様の問題を抱えている。また試験運転中の5号機の建設(1999年〜2004年)でも同じ骨材が納入された可能性が高いという。
阪神淡路大震災が起こったのは、浜岡原発4号機が完成した2年後の1995年1月17日だった。A氏は高速道路が横倒しになり、高層マンションや商業ビルが倒壊した光景をみて急に恐ろしくなった。もし、東海地震が起こったら、どうなるのだろうかと考えると、自分のやってきたことに心が苦しみ続けてきた。それ以来、浜岡原発が崩壊する夢を見るようになった。とんでもないことになる。
A氏は告発に踏み切った心境を次のように述べた。
「企業の不正が次々に明るみに出ていますが、安全性が問われる原発でも不正が行われていることだけはどうしても多くの人に知らせなくてはならないと決断しました」
☆設計者からの諌言「浜岡原発は制御不能になる」
(2005年4月17日のJANJAN)
http://www.asyura2.com/0403/genpatu2/msg/696.html 私(林信夫はペンネーム)は日本原子力事業株式会社(現・株式会社東芝)の社員として、中部電力浜岡原子力発電所2号機の設計に当たった技術者です。浜岡原発は基礎を固定する岩盤の強度が弱いという問題があり、当時、技術者たちは原子炉が地震に耐えられるようにいろいろ工夫をしましたが、いずれも耐震計算をしてみると「持たない」という結果が出たのです。それでも2号機の建設はそのまま進みそうでした。私はとても悩みました。そして、技術者の良心に従って会社を辞めました。周りの人たちへのささやかな「警告」になればと思ったからです。
それから30年余りが経ちました。今年1月には、浜岡原発の運転中止を求める署名運動が全国的に進められていることを新聞記事で知りました。中部電力が浜岡原発の大規模な補強工事をすることも新聞記事で読みました。ほんとうに恐ろしい事態が起こっているに違いありません。私はこの際、私の知っていること、私が経験したことを、すべて明らかにすることにしました。それが社会に対する私の責任と考えたからです。
2つのことを申し上げたいと思います。
第1は、浜岡2号炉の耐震計算結果は地震に耐えられなかった
第2は、直下型地震が起こると核燃料の制御ができなくなる可能性がある
ということです。
耐震計算結果は地震に耐えられなかった
私は1969年4月に東芝の子会社である日本原子力事業(株)に入社し、東芝鶴見工場で、原子炉の炉内構造物の設計に従事しました。上部・下部シュラウド(炉心隔壁)、上部・下部格子板、緊急冷却装置など核燃料を支える部分の設計です。
最初は東京電力福島原発2号炉、次に中部電力浜岡2号炉の設計を担当しました。設計者は計算担当者の指示にしたがって、炉内構造物をいくつかの部分に分け、その部分の重量など計算用のデータを提出します。そのデータに基づいて計算担当者が耐震計算をします。
浜岡2号炉の場合、設計者は100人近くいました。部門ごとの設計者代表が集められた会議の席で計算担当者から聞かされた話は「建屋と圧力容器について、いろいろ耐震補強の工夫をしてみたが、空間が狭すぎてうまく行かないので諦めた」ということでした。原子力発電所の建設は、建屋→建屋内の圧力容器→容器内のシュラウド、格子板などといった順に、安全性の許可を得ながら5、6年掛かりで進めますので、後になって補強のための空間がないとわかっても、それから広げることはできないのです。
私も私が担当していた核燃料集合体の上部の水平の位置を保持するための上部格子板の応力計算をしてみましたが、「完全につぶれる」という結果が出てしまったのです。
計算担当者の説明によると、浜岡2号炉が地震に耐えられない原因は次の2つです。
(1)岩盤の強度が弱いこと(福島は強かった)
(2)核燃料集合体の固有振動数が想定地震の周波数に近く共振し易いこと
ごまかしの再計算
そして計算担当者は、「対策」として、次の3つの方法で再計算すると述べました。
(1)岩盤の強度を測定し直したら強かったことにする(福島なみ)
(2)核燃料の固有振動数を実験値でなく米GE(ゼネラル・エレクトリック)社の推奨値を使用する
(3)建屋の建築材料の粘性を大きくとる(振動が減衰し易い)
つまりごまかしの計算をして、当初計画のまま押し通してしまうということです。
私はその直後の1972年7月に退社することにしました。会社の会議室で上司に辞意を伝えました。自分の席に戻ったときには、耐震計算結果のバインダーはなくなっていました。
私の退社後に耐震補強を行ったかどうかは私にはわかりません。しかし、浜岡1号機は配管破断事故とシュラウドの亀裂で停止中、2号機も亀裂の入ったシュラウドの交換が終わる(08年3月)まで停止と報道されています。私が設計に携わった頃から今日まで大きな地震もなかったのに、このように深刻な事態が起こっていることから推測すれば、中部電力は耐震のための設計変更はしないまま建設を進めたものと考えられます。
計算担当者が中部電力に内緒でごまかしの計算書を提出した可能性がないわけではありませんが、技術者が関係者に相談もせずに偽の計算書を出すことはまずあり得ませんから、中部電力は地震に耐えられないことを承知していたはずです。
浜岡1、2号機が造られた70年代初めには東海地震の震源域のど真ん中に位置していることがわかっていなかったという報道がよくありますが、もっと問題なのは原子力発電所立地について地盤強度の基準がなかったのではないかと思われることです。プレート境界や活断層の有無以前の問題として、なぜ、地盤強度の弱い浜岡に電発が立地したのか。基準さえあれば浜岡原発の建設は避けられたはずなのです。
退社して10年ぐらい経ったとき、大学院時代の研究会のOB会で、大手重機メーカーで原子力施設の仕事をしている後輩に会いました。「浜岡2号機は耐震が持たないので会社を辞めた」と話したところ、彼はたまたま浜岡2号機の圧力容器を担当していて「そう言われれぼあそこはちょっとした地震でもビンビン揺れます」と言っていました。これが大地震もなかったのに配管が壊れたり、シュラウドに亀裂が入った原因と思われます。
中部電力は、地盤および原子炉の建家、圧力容器、配管などに、震度計を設置して、地震時のデータを公表すべきです。そうすれば、すべてが明らかになります。公表できないとすれば、それは浜岡原発がいかに地震に弱い構造であるかを自ずと物語ることになります。
直下型地震が起こると核燃料の制御ができなくなる可能性がある
現在の原子炉の耐震計算は横波(水平方向の揺れ)に対してのみを行っています。しかし、阪神・淡路大震災のような直下型の地震では、縦波(上下方向の揺れ)も強く、建物がつぶれました。この縦波を原子炉について考えると、制御棒の挿入が不可能になり、原子炉は制御不能の状態に陥ることが考えられます。
ご存知のように、軽水炉(BWR型)原子炉の燃料集合体は使用済みになると、原子炉から引き上げられ、新しい燃料集合体に換えられます。これが簡単にできるのは、燃料が下部格子板の上に乗っているだけだからです。ただし、燃料集合体と燃料集合体の間を制御棒が動くスペースを確保するために、下部格子板の穴にはめこまれ、横方向には動かないようになっています。
メルトダウンの危険性
ここを直下型の大地震波が襲うことになると、大きな上下の振動と、水平方向の振動が同時に来ます。上下の振動が激しければ、燃料集合体は上に投げ出され、下部格子板から離れて宙に浮き、下部格子板は水平方向にも振動してますから、穴の位置がずれて穴に戻らなくなる可能性があります。したがって、強い地震を感知して、自動的に制御棒を挿入しようとしても、制御棒が核燃料集合体にぶつかったり、破損したりして、挿入できなくなる可能性があります。
原子炉が制御不能に陥れば、核反応は止まらなくなります。その後、液注、配管破断による炉内の水漏れ、緊急冷却装置の故障を経て、やがてはメルトダウン(炉心熔融)です。浜岡原発は世界に放射能を撒き散らす最悪の事態を引き起こす可能性があります。過去に設計に関わった者として、そのことを明確に申し上げます。
☆耐震設計改ざんの可能性指摘=浜岡原発、元技術者が告発
(2005年4月15日の時事通信)
http://www.asyura2.com/0403/genpatu2/msg/694.html 中部電力浜岡原発(静岡県)2号機の原子炉設計にかかわったという元技術者の谷口雅春さん(63)が15日、静岡県庁で記者会見。耐震計算の数値改ざんの可能性を指摘し「大地震が来る可能性があり心配」と述べた。
谷口さんによると、1969年4月、旧日本原子力事業に入社。親会社の東芝に出向して、2号機の炉心隔壁(シュラウド)など炉内構造物の設計に携わった。