2009年04月08日

自民党の組織本部長が「核武装と国連からの脱退」を提唱!

山田風太郎は自著『人間臨終図鑑』の中で、「松岡洋右は相手の手を全然見ずに、己の手ばかりを見ている麻雀打ちであった。彼はヤクマンを志してヤクマンに振り込んだ」と寸評している。


☆自民・坂本組織本部長「日本も核保有、国連脱退」 (読売新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090407-00001011-yom-pol

http://www.asyura2.com/09/wara8/msg/207.html

自民党の7日の役員連絡会で坂本剛二組織本部長が北朝鮮のミサイル発射に対し、日本も核保有すべきだと述べた。

坂本氏は「向こう(北朝鮮)は核を保有している。日本も『核を保有する』と言ってもいいのではないか」と述べ、国連脱退にも言及したという。



☆自民・細田幹事長、米・ライス前長官とヒル次官補を名指しで「弱腰で間違っていた」 (フジテレビ)

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20090407/20090407-00000658-fnn-pol.html

http://www.asyura2.com/09/wara8/msg/208.html

自民党の坂本剛二氏は「向こうが持っているのだから、(核開発を)やめるまでは『こっちだって、それくらいの準備をするぞ』くらいのこと言わないと。どうしようもないんじゃないか」と話した。

これに先立つ役員連絡会では、坂本組織本部長から、北朝鮮の核開発について「日本が核を持つと言わないと、やめさせることができないのではないか」との意見も飛び出した。



《備考》

☆ウィキペディア「松岡洋右」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E6%B4%8B%E5%8F%B3

日本政府は、リットン報告書が採択された場合は代表を引き揚げることを決定(1933年2月21日)。2月24日、軍縮分館で行われた総会で同報告書は予想通り賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現タイ)、投票不参加1国(チリ)の圧倒的多数で可決された。松岡は予め用意の宣言書を朗読した後、日本語で「さいなら!」と叫んで議場を退場(昭和8年5月28日大日本雄弁会講談社発行の『松岡全権大演説集』では総会退場の日には「さいなら(さよなら)」は発言していない。「サヨナラ」演説は昭和8年4月12日サンフランシスコにて放送された全米向けNBCラジオ演説が「SAYONARA SPEECH」として記載され、この演説の場合は「I say it to you ─SAYONARA」とラストを締め括っている。)した。松岡の「宣言書」そのものには国際連盟脱退を示唆する文言は含まれていないが、3月8日に日本政府は脱退を決定(同27日連盟に通告)することになる。

翌日の新聞には『連盟よさらば!/連盟、報告書を採択 わが代表堂々退場す』の文字が一面に大きく掲載された。「英雄」として迎えられた帰国後のインタビューでは「私が平素申しております通り、桜の花も散り際が大切」、「いまこそ日本精神の発揚が必要」と答えている。

(略)

帰国した松岡は「言うべきことを言ってのけた」「国民の溜飲を下げさせた」初めての外交官として、国民には「ジュネーブの英雄」として、凱旋将軍のように大歓迎された。言論界でも、清沢洌など一部の識者を除けば、松岡の総会でのパフォーマンスを支持する声が大だった。

(略)

対米強硬論を唱えていたが、数十年ぶりに米国の留学先を訪れた際、「余はかつて人生の発育期をこの地で過ごし、生涯忘れべからざる愛着の情を持つに至った」と発言しているように、最終的には日米が平和裡に手を握れる日を夢見ていた松岡は、昭和16年12月6日、日米開戦の方針を知り「三国同盟は僕一生の不覚であった」、「死んでも死にきれない。陛下に対し奉り、大和民族八千万同胞に対し、何ともお詫びの仕様がない」と無念の思いを周囲に漏らし涙を流したという。しかし、開戦二日目に徳富蘇峰に送った書簡が最近発見され、それによると松岡は緒戦の勝利に興奮し、多大な戦果に「欣喜雀躍」と記ている。また同じ書簡で松岡は、開戦に至った理由として、アメリカ人をよく理解出来なかった日本政府の外交上の失敗であることを指摘し、アメリカをよく知っている自分の外交が、第二次近衛内閣に理解されず、失脚したことへの無念さを訴えている。その一方で開戦したからにはその外交の失敗を反省し、日英米の国交処理をいつかはしなければならない、と蘇峰に書き送っている。このことは、開戦前と後では、松岡の気持ちが変化したことが伺える。

(略)

山田風太郎は自著『人間臨終図鑑』の中で、「松岡は相手の手を全然見ずに、己の手ばかりを見ている麻雀打ちであった。彼はヤクマンを志してヤクマンに振り込んだ」と寸評している。





☆Yahoo百科事典「国際連盟脱退」の項→

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E7%9B%9F%E8%84%B1%E9%80%80/

1933年(昭和8)3月27日、リットン報告書の採択に反対して、日本が正式に国際連盟脱退を通告したことをいう。1931年の満州事変に際し、国際連盟はリットン調査団を現地に派遣、その報告書は32年10月公表された。内容は日本に対し妥協的なものであったが、日本の軍事行動を正当と認めず、また満州国が傀儡(かいらい)国家であることを事実上認めるものであった。そのため日本側の強い反発を招き、国内でも陸軍や右翼を中心に連盟脱退論がおこり、財界の一部もこれに同調した。

12月の連盟総会では日中両国の意見が激しく対立し、両国を除く十九人委員会に問題が付託された。同委員会の報告書は、リットン報告書の採択と満州国不承認を盛り込んだものであり、2月24日の連盟総会は44か国中42か国の賛成(日本反対、シャム棄権)でそれを採択したので、日本全権松岡洋右(ようすけ)はこれに抗議して退場した。連盟脱退により日本は孤立の道を歩むことになった。


posted by はなゆー at 04:31| Comment(1) | TrackBack(0) | 外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自民党は自ら「CIAが謀略費にスーパーダラーを渡す潜在的敵対組織」たるを選択しちゃうのかねえ…。
飼い主の手を噛む馬鹿犬!
米国の犬がウリなのに、ソレも無くしちゃって…。
まあ、自民を日本から切り離せば良い事ですから。
はなゆーさん、そう悲観なさらず。
Posted by 田仁 at 2009年04月08日 13:23
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