2009年07月25日

「恐山」副山主が“臓器移植法”について考察

僧侶からみた“臓器移植法”。非常に有意義な考察。
 

☆僧の立ち位置 (恐山あれこれ日記)

http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2009/07/post_bc95.html

http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/151.html

そこで、私は思います。宗教家、少なくとも仏教者は、法律の内容の是非にかかわらず、この人間関係のアンバランスな状況下において、弱い側の立場に寄り添うべきだと。そしてこの立場に立つことによって当然生じる社会的批判に、甘んじて耐えるべきだと。

新しい心臓を熱望する本人と家族と、それを是とする医者とコーディネーターの前で、いま「脳死」状態になっている息子の、事前の意志がわからぬゆえに臓器提供への同意をためらう母親が目の前にいるなら、仏教者は、母親の気持ちに寄り添う立場に立つべきだろう、ということです。



人は死ぬから生きられる
ラベル:臓器移植法
posted by はなゆー at 00:42| Comment(2) | TrackBack(0) | キャスターメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
良い話し◎
Posted by 介護員 at 2009年07月25日 00:51
絶対に移植法報道で触れられない怖い事実は、もう既に現時点で(自民自己責任教小泉教祖の大号令による福祉削減に財政赤字が名目になった新自由主義の流れが継続し)「医療費高騰が財源を圧迫するのは国民の福祉は平等との建て前で皆が高度医療を受けるから」と言われ始めている、その指摘。
詰まり、新自由主義の継続を阻止しない限り、臓器売買が違法である為に金銭の授受が伴わなくても、事実上の問題として臓器が「低所得層→高額所得者」へ向かう方向性自体は絶対的だろうね…!と言う怖い話なんです。
Posted by 田仁 at 2009年07月25日 17:29
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