2009年12月22日

佐藤元首相の私邸で「日米核密約文書」の現物が発見された

「米国政府は重大な緊急事態に備え、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち嘉手納、那覇、辺野古、及びナイキ・ハーキュリーズ基地をいつでも使用できる状態に維持しておく必要がある」


☆核密約文書、佐藤元首相邸に…初の存在確認 (読売新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091222-00000775-yom-pol

http://www.asyura2.com/10/senkyo76/msg/577.html

密約の存在を裏付ける決定的な証拠が発見されたことになる。

外務省はこれまで文書の存在を否定してきた。

(略)

密約の存在は、返還交渉で密使を務めたとされる若泉敬・京都産業大教授(故人)が1994年に著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋刊)で暴露した。


☆ウィキペディア「若泉敬」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%B3%89%E6%95%AC

核抜き・本土並み」返還の道筋が見えてきたところ、日米首脳会談直前の1969年9月30日、キッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官より、「緊急事態に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ち込む権利、および通過させる権利」を認めるよう要求するペーパーが提示された。1969年11月10日 - 11月12日の再交渉で、若泉は「事前通告」を「事前協議」に改めるよう主張、諒解を得る。この線で共同声明のシナリオが練られることとなり、同年11月19日(米国時間)佐藤・ニクソン会談で3年後の沖縄返還が決定されることとなった。

その後は現実政治に関与することなく、学究生活に戻った。

なお極秘交渉の経緯を記した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋、1994年)において、核持ち込みと繊維問題について作成した、日米秘密合意議事録の存在について触れている。同書によれば、佐藤とニクソンは、大統領執務室隣の小部屋で、二人きりになって署名したという。

同書の上梓後、1994年6月23日付で大田昌秀沖縄県知事宛に「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自殺)します」とする遺書を送った。同日、国立戦没者墓苑に喪服姿で参拝したが、自殺は思いとどまった。

その後、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』英語版の編集に着手。完成稿を翻訳協力者に渡した1996年7月27日、癌性腹膜炎により、福井県鯖江市の自宅にて逝去。享年67。しかし、実際は青酸カリでの服毒自殺だったという。

posted by はなゆー at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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