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さて、ぼちぼち検察のもう一つの悪質な冤罪事件、村木厚子元局長の冤罪事件(世間では第三者郵便不正事件)について、レポートしていくことにしましょう。すでに、裁判では、検察側証人が、検察尋問に対して供述調書の内容をことごとく否定し、公判維持すら不可能になりつつあるのは周知の事実。
村木さんの無罪は、ほぼ確実なわけですが、それでは真犯人は誰なのか。障害者団体の認定については、上村勉元係長が「私が一人で全部やった」と公判で証言していますが、これも疑わしい。実際には「上司からマル政案件だと言われてやった」という調書のとおりで、上司は村木課長(当時)ではなかった。
上村元係長に指示したのは、当時の村木課長の上司で障害者福祉部長だった塩田と考えるのが自然なのに、なぜか大阪地検特捜部は、塩田元部長の証言通りに捜査を進めました。共犯の一人を捕まえずに、その証言ででっちあげられた犯人、つまり村木さんを逮捕した。こんな間抜けな話はありません。
しかも、検察側証人として法廷に立った塩田氏は、自分の犯行がすでに時効になったことを前提に、公判では証言はをひるがえして「村木さんは無実」と供述を完全に翻しました。これだけなら、おバカの大阪地検が犯人に騙された冤罪事件ですが、実はこの事件にはもう一人の「重要な共犯者」がいます。
どらえもんは、これまで「真犯人は長野に潜伏中」とだけ、つぶやいてきました。それは、その男が長野に別荘を構え、悠々自適の生活を送っているものの、もし何がしかの経済的利益を倉沢被告から得ていれば「受託収賄罪」となり、時効の7年は過ぎていない。そう考えて調査してきたからです。
調査には、長妻厚労相、原口総務相の協力も頂きました。日本郵政内部の旧知の方々の協力も。どらえもんは、日経経済部時代に2年間、旧郵政省を担当していましたから。
村木さん冤罪事件で、当初から検察側のストーリーには大きな無理がありました。それは、日本郵政の第三者郵便の認可を得るために、村木さんが日本郵政の東京支店に電話したというもので、村木さん自身は「電話していないし、知り合いもいない」と取り調べ段階から完全否定してきたことです。
しかし、障害者団体の資格を得るだけでは、日本郵政公社の第三種郵便の資格認定をパスすることはできません。誰かが口利きをしなければ、あんなにすんなり認められることはない。そこに、もう一人の「重要な共犯者」が浮かんでくるのです。
どらえもんが当初から疑問に思っていたのは、マスコミが一斉に石井一参院議員と倉沢被告の関係を中心に報道したことでした。週刊誌の中には、石井事務所の秘書という肩書の倉沢被告の名刺を掲載したところもありました。取材すると、ある男がその名刺を見せて「石井一犯人説」を流していたことが判明。
その男は、引退した自民党議員の秘書を長く務め、身内に障害者を複数抱え、障害者福祉にもともと影響力のある男でした。どらえもんは、政治部時代にその男の派閥を担当していたので、議員会館や派閥事務所でよく顔を合わせてきました。
その男の上司は、厚生大臣を3回歴任し、その都度政務秘書官を務めたその男は、厚生労働省の官僚に深く食い込んでいました。中でも、障害者福祉部長だった塩田とは入魂の仲でした。
手元に、小泉内閣時代にその男の地元と周辺自治体に補助金で作られた障害者福祉施設、老人介護施設のリストがあります。実に、多くの施設が作られ、その受注業者が彼の「別荘」も作っています。土地代金も業者が払った疑惑が報じられた。そんな時期に郵便不正事件は起きました。
実は当時、どらえもんも長野に出向き、その男の別荘の写真を撮り、登記簿をあげて、なぜ一軒隣の家の人が、土地の所有者なのかなど不可解な事実を調査していました。まだ秘書時代のことです。
その男は、自民党秘書会の有志の集まりを通じて、倉沢被告とも旧知の仲でした。当然、その時代に名刺交換をして、「石井一秘書倉沢」の名刺も持っていた。名刺交換したら、その名刺の裏に日付を書いて、属性ごとに整理しておくのが、その男の習性でした。
そして、決定的に重要なのは、その男が宮沢内閣時代に郵政大臣秘書官を務め、事件当時の郵政公社に、限定的な形であれ、人脈を持っていたこと。なぜ限定的な人脈しかないかというと、上司が「郵政民営化論者」で、当時の郵政省では総スカン状態だったから。
村木さんの冤罪事件は、村木さんが郵政公社に働きかけたのでなければ、誰が郵政公社に口利きをしたのかを解明しないと事件の全容が解明できない。その謎を解くカギが、その男と事件当時の郵政公社東京支社幹部との緊密な、というより「絶対服従」の関係にある。
その男と事件当時の郵政公社東京支社長Mは、宮沢内閣当時、郵政大臣室で席を並べて働いていた。政務と事務。肩書は同じ秘書官でも、大臣の威光を笠に着たその男に、Mはこき使われていた。その様子を、当時大臣室に入り浸りだった郵政省クラブ時代のどらえもんは、逐一目撃してきた。
Mが郵政省広報室長だった当時、どらえもんは、大臣同行で一緒にドイツ・フランスを旅行した。バブル絶頂期のこと。仏南部のリゾート地ニースで最高級のネグレスコホテルに泊まり、ビーチを闊歩するトップレス美女たちを眺めて、Mは「本当にこんなところがあるんですねぇ」と嘆息した。
当時、一緒に旅行したA氏(現在は日本郵政グループ幹部)によれば、Mとその男の奇妙な絶対服従の関係は「秘書官を辞めたあとも、ずっと続いていた」という。そのためか、Mは小泉内閣の下で出世を続け、日本郵政グループ会社の副社長にまでなった。
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ラベル:松田光世
☆塩田の罪は? 2009年07月04日
http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/200907040000/
障害者団体の証明書を偽造した事件で関係者4人が起訴された。うち、厚労省関係者は前局長の村木厚子と関係部署の元係長上村勉。
村木らの容疑は虚偽有印公文書作成・同行使罪。
厚労省の主犯がまるで村木厚子かのよーな扱いだ。うーん、腑に落ちないなぁ。
当時、障害保健福祉部企画課長だった村木に、証明書の発行を急がせたのは村木の上司。当時の障害保険福祉部長・塩田幸雄だ。
障害保険福祉部の塩田は議員案件の総元締め。「いらっしゃーい、先生!」と議員が持ち込む案件(特に無理難題)を担当部署の課長たちに押し付けていた。コレをかろうじてクリアした処理の成果は塩田が独り占め。
障害者団体認可の偽造証明書もそのひとつだったんだろうな・・・・
前任の係長は認可はムリと危機回避、後任の係長に案件未決の書類を引き継いだ。後任の係長も認可を渋っていたと同僚は言う。
村木がどこまで上村に処理を迫ったかは裁判の審理待ち。と、言うのも接見した弁護士によれば、彼女は起訴事実を断固否認。
被告人3名は村木関与を供述、3対1、どうなることやら。
村木の件は裁判にお任せするとして、村木に案件の処理を命じた元部長だった塩田幸雄は、なぜ逮捕されなかったのだろう。
塩田の自宅、天下り先の福祉医療機構まで家宅捜索を受けた。なのに大阪地検特捜部は彼を放免。あることないこと、地検に「議員案件」とペラペラ喋ったご褒美?闇の司法取引成立?
一部の報道機関によれば、議員案件の出所は「民主党政治家」と決定されている。その根拠は捜査関係者の話によると・・・なのだ。
報道機関は、逮捕された倉沢邦夫(偽障害者団体代表)に直接面会して、裏を取らないのか?
ちなみに、塩田幸雄とキムラヨシオ(自民党の厚労族)は同郷で懇意も懇意。キムラヨシオは、障害者福祉委員長 厚生政務次官 衆議院厚生委員会理事 厚生労働副大臣などの役職を経て、障害者自立支援法に関する与党プロジェクトチームの座長を務めている。
塩田が虚偽有印公文書作成・同行使罪の筆頭容疑、議員案件の主がキムラヨシオだったら、役者が揃ったということで、当方の妄想では一件落着だったのに・・・
キムラヨシオ、世間では名が売れてないけどお、福祉業界では口利きの先生としてつと有名。グサっと言えば、利権の政治屋。政治資金は利権献金かと疑われるほど「カネと政治」のサンプル代議士。おまけに世襲家系で苦労知らず。口利きでいつか捜査線上に浮かぶのは時間の問題かしらと地元ネタ。マスゾエが来るまでは、厚生労省の口利きはキムラヨシオの独占だったかも。
確かに調べる価値はあるでしょうね。
ttp://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031815621&Action_id=121&Sza_id=C0
長くて半年、短ければ数日でバレる嘘を、このネット時代に稚拙な…っ!と思った事を覚えてますね。
自衛隊情報保全隊がイラク戦争反対派を執拗に調べてたのも、上記キャンペーンと同時期でした。
ま、相変わらず陸山騒動でもネットにしてやられてる訳ですが。
てか、松田ドラえもんさんは、それもコノ人と思ってられるんでしょう?似た様な黒幕がワンサカ居るより、同じ黒幕が似た様な事を散々やってる方が現実的だと。