投稿日:2010/05/15(土) 21:31:14
釈迦のたとえ話
ある所に、毎日、荷物を満載した車を、朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。
つくづくその牛は思ったのだ。
『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか、一体自分を苦しめているものは何なのか』。
そして、
『そうだ。オレを苦しめているのはこの車だ。この車さえなければ苦しまなくてもよいのだ。この車を壊そう』。
牛はそう決意した。
ある日、猛然と走って大きな石に車を打ち当て、木っ端微塵に壊してしまったのだ。
それを知った飼い主は驚いた。
こんな乱暴な牛には、余程頑丈な車でなければ、また壊される。
やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。それは今までの車の何十倍の重さであった。
その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、以前の何百倍も苦しむようになった牛は、
今更壊すこともできず、深く後悔したが、後の祭りであった。
牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思ったのだ。
213 名前:名無しさん@京都板じゃないよ
投稿日:2010/05/16(日) 02:44:58
なんか釈尊の関係の話ってそんな感じのが多い、結局は「今の現状で我慢しろ、あきらめろ」的な部分が多い。
じゃあ今の苦しみの現実的な対処法ってのが説かれてない。厭世的な生き方を助長してると俺は感じる。
214 名前:名無しさん@京都板じゃないよ[]
投稿日:2010/05/16(日) 05:35:14
宗教学的にはアジア発祥の宗教は環境変革よりも自己変革によって平穏を得ようという風潮がある
これはアジアの自然環境が例えばアラブは砂漠が多くて自然環境に我慢しているだけでは何も変わらない、
ヨーロッパは比較的気候が穏やかで毎年安定した食糧が手に入ったのに対してアジアは地震、台風、洪水などの天災が多い反面、土地自体は肥沃なのでその災害をただ我慢さえしていれば現状が勝手に改善されることが多かったことが要因になっているという

浄土三部経(上)改訳
同じ牛と思い
また牛に乗り換えたら
もっとひどいじゃじゃ馬に
山羊や羊さんは居るけどさみんな乗りたがらないらしいよ!
この世界は誰が作り出しているんでしょう?
事前のリサーチや根回しが足りてない。
自分が何処から餌を貰ってる?とか、もっと良い飼い主に出会う方法はあるのか?とか、今の飼い主の思考法は?とか、如何すれば少ない荷物で済むか?とか、対策の長期計画を立てて実行するには?とか。
今の民主党にイキナリ不平不満タラタラな浅墓さも、何処かから唆されて操られてたり、既得権益惜しさだったり、しなかったと仮定した「不安中毒症」だとしても、尚リサーチや根回しや長期計画をアカラ様に欠きます。
詰まる所、アンポンタンです。