☆首都で反大統領デモが暴徒化、少なくとも34人死亡 マダガスカル
(2009年1月28日のAFP通信)
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2564845/3731979
反政府デモは、反大統領派のAndry Rajoelinaアンタナナリボ市長(34)が呼びかけたもので、26日にはデモ隊が国営ラジオ局など複数の建物を襲撃・放火し、混乱が広がった。
市長の代理人によると、大統領が所有する民放テレビ局MBSをデモ隊が包囲した際、ガードマンが発砲し、デモ隊の1人が頭を撃ち抜かれた。市長は27日、デモの中止を呼びかけたが、その一方で、このガードマンが法の裁きを受けるまでは話し合いに応じないとしている。
市長は2007年の市長選に無所属で出馬し、大統領与党の対抗馬を破って当選。以来、「自由の縮小」や、韓国企業への大規模な農地の貸し出しをめぐり、大統領への批判を容赦なく繰り返してきた。前月には、ディディエ・ラチラカ(Didier Ratsiraka)前大統領とのインタビューを放映したとして自身が所有するテレビ局Vivaが閉鎖されたこともあり、政府への非難を強めてきた。
☆マダガスカル・クーデター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC
2008年、ラジョエリナは自身が運営するテレビ局にフランスに滞在するラツィラカを出演させ、政府批判のインタビューを放映した。12月13日、政府はラジョエリナのテレビ局に対して、国外追放したラツィラカを出演させたことを理由に閉鎖命令を出した。
2009年1月24日、ラヴァルマナナが南アフリカ共和国に首脳会談の為渡航した。翌25日、ラジョエリナは政府によるテレビ局閉鎖を批判し、抗議デモを呼びかけた。デモ参加者の一部が暴徒化し、公共放送など政府施設や商業施設を襲撃、治安部隊が出動し暴徒を鎮圧、44人の死者が出た。アフリカ連合はラジョエリナの抗議デモを非合法的手段として非難声明を公表した。
2月2日、ラヴァルマナナはラジョエリナを国家反逆罪として最高裁判所に告発、最高裁はラジョエリナのアンタナナリヴ市長職を免職した。
☆アンドリー・ラジョエリナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%8A
2007年12月12日に実施された首都・アンタナナリボ市長選挙に立候補し、当選する。自ら経営するテレビ局を中心に政府批判を行い、国外退去処分を受けた元大統領のディディエ・ラツィラカのインタビューを放映した。これに危機を感じた大統領マーク・ラヴァルマナナが、2008年12月13日にラジョエリナが運営するテレビ局を完全閉鎖した。
ラジョエリナはマーク・ラヴァルマナナへ猛反発し、応戦の構えを見せた。そしてラヴァルマナナはラジョエリナをアンタナナリヴ市長から解任させ、これがきっかけとなってラヴァルマナナへの批判は一層高まった。更に、ラヴァルマナナの公金横領疑惑が積み重なり、ラジョエリナは大統領宮殿の占拠を試みたものの、2月7日に治安部隊の銃撃を受け失敗。3月16日にマダガスカル軍と共に大統領宮殿を占拠し、これを受けラヴァルマナナは大統領を辞任し、マダガスカル軍へ実権を譲渡した。
ラヴァルマナナの大統領辞任を受け、新しく大統領の座にラジョエリナが就任した。この暫定政権は、2011年まで続くと見られる。
2010年09月05日
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