http://tanakanews.com/100917senkaku.htm
米国に操られ、近隣の非米大国に対して好戦的かつ自滅的に挑まされるハンサムな若手指導者という点で、前原は「日本のサーカシビリ」と呼べるかもしれない。
米国にそそのかされてロシアに戦争を仕掛けて負けて窮したグルジアのサーカシビリ大統領と同様、前原ら日本の対米従属派の新たな中国敵視戦略が長く成功するとは考えにくい。
☆米に乗せられたグルジアの惨敗
(田中宇の国際ニュース解説。2008年8月19日)
http://www.tanakanews.com/080819georgia.htm
グルジアが侵攻したタイミングについて、アメリカの分析者の間では、別の分析も出ている。8月7日が選ばれたのは、翌日から米大統領選挙戦で優勢な民主党オバマ候補が、夏期休暇で故郷のハワイに戻って選挙活動を1週間休んだためであり、ブッシュ政権が、共和党マケイン候補を挽回させるために、グルジアのサーカシビリを焚きつけて侵攻させたという推測である。
(略)
米議会では、来年度予算で、F22戦闘機など、高価な新兵器開発の予算が削られそうになっていたが、グルジアの開戦で「ロシアと戦うにはF22が不可欠だ」という議論が米議会などで噴出した。軍事産業から献金されている議員たちは一挙に活気づいた。
☆ミヘイル・サアカシュヴィリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AA
2008年8月7日、南オセチア自治州への派兵を行い、同日の記者会見で同地域の大半の制圧と州都・ツヒンヴァリの包囲を宣言した。これに対し同州の独立を後押しするロシアは強く反発し、同州に増援部隊を派遣するとともにトビリシへの空爆を実施し、南オセチア紛争が勃発した。
サアカシュヴィリは8月9日に戦争の継続を15日間延長させる大統領令を発令、議会側の承認を同日得た。また、後述のイラク駐留・グルジア軍2000人を近日中に帰国させ、ロシアとの戦闘に備える旨も述べた。
8月12日にロシアが軍事作戦を停止すると、これを受けてトビリシの議会前で数千人の支持者を前に演説し、「ロシアは我々をひざまずかせようとしたが出来なかった」と述べ、CIS脱退の意向を表明し、8月14日にこの提案を議会側が承認した。
紛争後、ロシアとの武力衝突を招いたことで多くの犠牲をもたらしたとして、サアカシュヴィリの責任を問う声が強くなった。サアカシュヴィリは2008年10月27日にラド・グルゲニゼ首相を解任し、代わってグリゴル・ムガロブリシビリを首相に任命したが、これは紛争に対する批判をかわすためだとする観測が出ている。同年11月7日には1万人以上の野党支持者による反政府デモが行われ、サアカシュヴィリの辞任と大統領選の早期実施を求めた。
南オセチア紛争に関するサアカシュヴィリ自身の発言も変化し、紛争時に行っていた「先に軍事行動を開始したのはロシア側だ」という主張を翻し、同年11月28日にグルジア側の方が先に軍事行動を開始していたことを認めた。
同年12月5日には、国防相、外相、国家安全保障会議書記を更迭し、自らの責任回避に腐心している。
(略)
強硬なグルジア民族主義者として知られ(反対派から『グルジアのジリノフスキー』と揶揄されることも)、グルジアの領土統一を目指して大統領就任後、ロシア寄りであったアジャリア自治共和国との国境を軍を使って封鎖し、武力侵攻も辞さないとの立場を示し、アバシーゼ大統領を力づくでロシアに強制亡命させ同地域を平定した。また、同じく親露派のアブハジアと南オセチアの分離独立・北オセチアとの統一問題で、ロシアに対して抵抗する姿勢を示し、アブハジアからのロシア軍即時撤退を求めている。
ロシアの覇権主義に対しては就任以来一貫して激しく批判しており、ロシアを牽制するため欧米諸国や日本との関係を強化した。米英主導によるイラク戦争が勃発すると同戦争を支持し、軍を派遣した。イラクには2008年3月の時点で2000人のグルジア兵が派遣されているが、これは同戦争を主導した米英両国を例外とすれば、最も多くの兵士が派遣されていることになる。
(略)
2006年9月に安倍晋三が中華人民共和国やロシアを牽制する価値観外交を掲げ、内閣総理大臣に就任すると関係は急速に深まり、2007年3月7日から3月11日にわたり来日している。首脳会談の中でサアカシュヴィリは、上記の価値観外交に賛意を示すと共に、日本の常任理事国入りへの支持も表明した。
(略)
2010年6月、4月のポーランド空軍Tu-154墜落事故を教訓に自身の政府専用機に緊急脱出装置(1人用)を約700万ドル(約6億3000万円)かけて設置したと報じられ、野党からは予算の無駄遣いと批判されている。ロシア紙コムソモリスカヤ・プラウダは「最も勇敢な大統領が臆面(おくめん)もなくおびえて再び国民を驚かせた」などと皮肉った。同紙によると、「既存の機体に脱出用の穴を開ける改修をすれば、かえって墜落の危険度は増す」と指摘する航空専門家もいるという。
☆南オセチア紛争(2008年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E3%82%AA%E3%82%BB%E3%83%81%E3%82%A2%E7%B4%9B%E4%BA%89_%282008%E5%B9%B4%29
午後11時からのニュース報道でグルジアのサアカシュヴィリ大統領は「グルジアの村が砲撃を受けているが、グルジア政府は南オセチアにおける犯罪者による統治から秩序ある政治体制へと強権を発動してでも回復する」との談話を発表した。
午後11時30分、グルジア軍はツヒンヴァリへの本格的な攻撃を開始した。11時45分、OSCEの監視員は、ツヒンヴァリに15〜20秒おきに砲撃が起こっていると報告している。グルジア軍が使用したのはロケットランチャー27台で、152mm砲やクラスター爆弾も使用された。3旅団が夜通し攻撃を行った。
(略)
ロシアの英文雑誌『モスクワ防衛の真実』によると、8月10日の朝、グルジア軍はツヒンヴァリの大部分を押さえ、オセチア軍とロシア平和維持軍を北方へと追いやった。しかし、時間が経つにつれロシア軍が優勢となり、これがこの戦争の転換点になった。
8月10日の夜にはツヒンヴァリからグルジア軍は一掃され、市の南方に引き下がった。要地であるプリシ高地(Prisi heights)もまたロシア軍が占拠した。グルジアの砲兵隊も大部分が敗れた。その間にオセチア軍はロシア軍の支援を受け、アケアベチ (Achabeti)、ケヒヴィ(Kekhvi)、クルタ(Kurta)、タマラシェニ(Tamarasheni)といった、南オセチア北部からツヒンヴァリまでの地域を占領した。グルジア軍の残存部隊もやがて沈黙した。最後に残ったツヒンヴァリ北部のツェモ−ニコシ(Zemo-Nikosi)のグルジア軍も破られた。
その後もグルジア軍は数箇所の高地からツヒンヴァリに砲撃を加えた。それも8月11日の終わりには完全に駆逐され、南オセチアからグルジア軍は撤退した。ロシア軍は翌朝には南オセチア外のグルジア領内にまで侵入した。
《おまけ》
☆中国が外国領土で初の爆撃訓練 (9月13日の朝鮮日報)
http://news.livedoor.com/article/detail/5005950/
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/636.html
中国の戦闘機が、長距離飛行を経て外国の領土に爆弾を投下するという、初の遠隔爆撃訓練を実施した。中国軍の機関紙「解放軍報」が12日、報じた。
(略)
中国の戦闘機は自国内の基地を飛び立ち、長距離飛行を経てカザフスタンに到着後、爆撃訓練を終えて即座に中国へ帰還した。中国軍関係者は今回の任務の目的について、「長距離爆撃の精度向上を目指すとともに、陸軍と空軍の連携を高めるもの」と説明した。
☆昭和天皇の戦時の肉声、元侍従の日記見つかる
(2007年3月9日の朝日新聞)
http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/881.html
太平洋戦争開戦前夜から敗戦まで昭和天皇の侍従として仕えた故小倉庫次(くらじ)・元東京都立大学法経学部長の日記がこのほど見つかった。
(略)
文芸春秋によると、日記はノモンハン事件直前の39年(昭和14年)5月から、45年(同20年)8月の敗戦まで。
(略)
日中戦争についての天皇の思いも吐露されている。「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(40年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明なるべき」(41年1月9日)。
(略)
「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満洲事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。(略)戦争はどこで止めるかが大事なことだ」「支那事変はやり度くなかつた。それは、ソヴィエトがこわいからである」「戦争はやる迄(まで)は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」
☆白村江の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
この際、倭国・百済連合軍がとった作戦は「我等先を争はば、敵自づから退くべし」という極めて杜撰なものであった(『日本書紀』)。
中国人だって馬鹿じゃないから、現共産党の裏も表も薄々知ってるけど、基本認識としてソレこそ大阪万博当時の自民党のイメージ?ソノ辺りが一番近しいと思います。
一般に、政治に一々強い関心を持ってる「人権派の闘う弁護士」とかソレはソレで偉いとは思うけど、取り敢えず高度成長期だし乗り遅れないように自分や一家の為に必死で働く「企業戦士のハシリ」の辺り。
ソレが一般的な今時の中国人ですねえ。
少なくとも、共産党の裏は知っててもソレを一々日本人から言われたくないでしょ。
米国人でも駄目!ですねえ、何故なら法輪功や新疆ウイグル過激派やチベット過激派の裏側にCIAの陰が色濃いから。
何れにせよ、現状の日中関係で実践を想定するのは経済音痴で且つ現状認識が残念なヒト達です。
(大阪万博の頃に大戦争が起きて欲しいとか思いましたか?日本人が?経済が折角、昇り調子なのに?)