2010年12月05日

〔爆笑〕八ツ場ダム=八つ墓村という説(やきとり説)

☆会話(147) (謙遜と謙譲の音楽〜検察という巨悪を眠らせない)

http://ch10670.seesaa.net/article/171801637.html

http://www.asyura2.com/10/senkyo101/msg/358.html

A:でも実は一番のトラブルメーカーは前原さんなんだよね。国交相の時、漁船衝突事件で中国人船長を威勢よく逮捕したはいいけど、後は知らんぷりだったしね。

N:八ツ場ダム周辺住民への問答無用な応対も酷かったな。八ツ場ダム着工までには、国と住民たちの長い歴史があることを理解していないんだよ。

A:因果な歴史だよね。ダム建設を歓迎していた村人たちが国からの補助金欲しさに、突然「ダム工事中止」を言い出した前原さんを惨殺してしまう。死ぬ間際に前原さんが残した言葉が、この村を呪ってやる! 末代までも祟ってやる!

N:それは「八ツ墓村」の歴史だろ! 



☆八つ墓村
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%81%A4%E5%A2%93%E6%9D%91

戦国時代(永禄9年=1566年)のとある小村に、尼子氏の家臣だった8人の落武者たちが財宝とともに逃げ延びてくる。最初は歓迎していた村人たちだったが、財宝と褒賞に目が眩らみ、武者達を皆殺しにしてしまう。今際の際に、武者大将は「この村を呪ってやる! 末代までも祟ってやる!」と呪詛の言葉を残す。その後、村では奇妙な出来事が相次ぎ、祟りを恐れた村人たちは野ざらしになっていた武者達の遺体を手厚く葬るとともに村の守り神とした。これが「八つ墓明神」となり、いつの頃からか村は「八つ墓村」と呼ばれるようになった。

大正時代、村の旧家「田治見家」の当主・要蔵が発狂し、村人32人を惨殺するという事件が起こる。要蔵は、その昔、落ち武者達を皆殺しにした際の首謀者・田治見庄左衛門の子孫であった。

そして二十数年後の昭和23年、またもやこの村で謎の連続殺人事件が発生することとなる。

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posted by はなゆー at 16:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 床屋政談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ヒ素とダム崩壊がセットで(日本の国力低下と共に浚渫稼働が止まるや否や何れは)襲うので、もっとパニック映画とか大惨事モノでしょ。
Posted by 田仁 at 2010年12月07日 16:28
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