(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101230-00000086-jij-int
http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/233.html
バチカンでは9月、通称「バチカン銀行」と呼ばれる寄付金の管理組織による不正送金疑惑で、イタリア当局に預金2300万ユーロ(約25億円)を差し押さえられる不祥事が発生。事態を重視した法王が中心となり調査と対策を進めていた。
☆ロベルト・カルヴィ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3
ロベルト・カルヴィ(Roberto Calvi、1920年4月13日 - 1982年6月17日、暗殺のため死亡日は不明)は、イタリアの銀行家。バチカンの資金管理を行う銀行であったアンブロシアーノ銀行の頭取であったことから、「教皇の銀行家」と呼ばれていた。
(略)
各国の当局やマスコミから身柄を追われていたカルヴィが、1982年6月17日の未明に、イギリスの首都、ロンドンのテムズ川にかかるブラックフライアーズ橋の下で「首吊り死体」の姿で発見されたため、当事者のバチカンとイタリア、イギリスの各政府のみならず、全世界を揺るがす大騒動となった。
カルヴィの死体が発見された当時は単なる自殺であるということで片付けられたものの、死体の位置が自ら首を吊ったとするには無理がある状況であったり、なぜか衣服のポケットに別の場所で入れられたと見られる小石や煉瓦が入っていたりと、死体の状況が単なる自殺とはあまりにもかけ離れた状況であることから、その後遺族らによって再捜査を依頼されたスコットランド・ヤード(ロンドン市警)が再捜査を開始し、最終的に1992年に他殺と判断された。
(略)
カルヴィの暗殺前の1979年には、バチカン銀行とアンブロシアーノ銀行の関係と、その投資内容を調査していたイタリア警察の金融犯罪担当調査官のジョルジョ・アンブロゾーリが自宅前で銃撃され暗殺されている他、カルヴィが殺された同月の1982年6月には、アンブロシアーノ銀行の歴代頭取の秘書を勤めていたグラツィエラ・コロケルも投身自殺したとされる。
その後1986年3月21日には、アンブロゾーリ調査官の暗殺をマフィアに依頼したとして逮捕、投獄されていた、カルヴィの共犯者でもあったミケーレ・シンドーナがイタリアの刑務所内で服毒自殺したが、他殺が疑われているなど、両行にまつわる不可解な暗殺事件が多発した。
☆アンブロシアーノ銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8E%E9%8A%80%E8%A1%8C
1896年にミラノで設立された。その後バンカ・ナツィオナーレ・デル・ラヴォーロ (BNL) の子会社となり、カトリック教徒の使徒座バチカンの資金調達と管理を行う宗教事業協会(Instituto per le Opere di Religioni/ IOR、「バチカン銀行」とも呼ばれる)の資金調達と資産運用を行う主力行となった。
(略)
なお、1982年の同行破綻後に「新アンブロシアーノ銀行」が設立されたものの、その後のバチカン銀行の資金調達と資産運用は、ロスチャイルド銀行とハンブローズ銀行などの他行に移された。
この様な大スキャンダルに見舞われたものの、バチカン銀行はその後も主要取引銀行を介して度々マネーロンダリングなどの違法な取引にかかわったと指摘されている。近年も2009年11月と2010年9月の2度に渡り、バチカン銀行とエットーレ・ゴティテデスキ総裁が主要取引行の1つのクレディット・アルティジャーノ銀行を介したマネーロンダリングを行ったとの報告を受けたイタリアの司法当局が捜査を行い、捜査の過程で2300万ユーロの資産が押収されている。
☆ポール・マルチンクス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9
ポール・カシミール・マルチンクス(Paul Casimir Marcinkus、1922年1月15日 - 2006年2月20日)は、アメリカ生まれのカトリック大司教で、「バチカン銀行」の元総裁。姓は、マーチンクスとも表記する。
(略)
この様な状況を受け、パウロ6世の逝去を受けて1978年8月に教皇に就任したヨハネ・パウロ1世は、バチカン銀行の改革を行い、同時にマルチンクス総裁をはじめとするバチカン銀行の汚職に関係する者の更迭を行うことを決定していた。
しかし、ヨハネ・パウロ1世は教皇就任後わずか33日で逝去した上に、逝去時に眼鏡とスリッパ、保存されているはずの遺言状が行方不明になっていたこと、バチカンが遺体の発見時刻を偽って発表した他、死因もわからないうちから防腐処理が行われたこと。さらに、マルチンクス大司教がヨハネ・パウロ1世逝去時の前後に教皇の居室周辺をうろついていたことが目撃されていたことなどから、バチカン銀行の改革と自らの追放を恐れたマルチンクス大司教とその協力者が、ヨハネ・パウロ1世を「暗殺」したのではないかと噂された。