2011年01月28日

民野健治検事(東京地検特捜部)が再度ブレイクする可能性高まる 

☆陸山会事件 秘書の証人採用求める…石川議員弁護側
(毎日新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110128-00000014-mai-soci

http://www.asyura2.com/11/senkyo105/msg/698.html

意見書で弁護側は「女性秘書は食事を与えられず約10時間も取り調べを受けた」とし、これを伝え聞いた石川議員が検察側に妥協して、容疑を認める供述調書に署名することを余儀なくされたと主張している。

意見書は▽昨年1月26日、検事は女性秘書に容疑者として取り調べる目的を告げずに呼び出し「逮捕できる」などと威圧的な言葉を投げた▽子供が通う保育園や石川議員の事務所への連絡を女性秘書が懇願したのに禁止された−−などとしている。



☆「週刊朝日」山口一臣編集長──タブー破りの“検事実名報道”で「週刊現代」にも怒られた!?
(サイゾー。1月10日)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110110-00000301-cyzoz-soci

http://www.asyura2.com/11/senkyo105/msg/699.html

これは小沢一郎氏の元秘書である石川知裕衆院議員の秘書の女性を、東京地検特捜部が「証拠品を返すから、ちょっと来てほしい」とウソをついて呼び出し、そのまま夜中まで監禁していたという悪質極まる事件です。

女性秘書が検察庁に行くと、取調室には民野健治という検事がいて、小沢氏と石川氏が共謀したことを認めるよう、繰り返し迫りました。しかし彼女は、石川氏が小沢氏の秘書をしていた時は、別の民主党議員秘書を務めていたので、知る由もありません。そのことを正直に答えると、民野検事は「なんでもいいから認めればいいんだよ」「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」と悪態をつき続けたのです。

取り調べは延々と続き、日も暗くなり、彼女は保育園に子どもを預けていたので心配になりました。

彼女は、お迎えの時間を許可してほしいと懇願し、せめて電話を入れさせてほしいと哀願し、パニックで過呼吸状態に陥ったにもかかわらず、民野検事は電話をかけることすら認めなかった。

私も子育てをやっていたから、保育園にお迎えに行けないということが、どんなに重大なことかわかるんですよ。これは許せない、と思いました。




☆民野健治検事、女性秘書「恫喝」10時間
(反戦な家づくり。2010年2月4日)

http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-821.html

http://www.asyura2.com/11/senkyo105/msg/577.html

検察暴走! 子ども”人質“に女性秘書「恫喝」10時間
(週刊朝日2月12日号 上杉隆著)より引用


1月26日(火)の昼ごろ、石川事務所に「タミノ」と名乗る男から電話があった。女性秘書に検察庁に来てほしいという。

女性秘書が「今日も押収品の返却ですか?」と確認すると、タミノは「そうです、あと、ちょっと確認したいことがあるので」と返した。

よく聞き取れなかったので、もう一度確認すると、「返却です」と答えた。

女性秘書は、1月15日の石川逮捕以来2度(22日、25日)検察庁から呼び出しを受け「押収品」の返却に応じている。

今回も同様の案件だと信じた女性秘書は、ランチバッグ一つで検察庁に向かった。

霞が関から議員会館のある永田町からは一駅である。前日と同じように、コートも着ずに薄着で出かけた。ランチバッグの中には千円札と小銭、ティッシュとハンカチ、携帯電話だけである。

検察庁に着くと前回までとは違う部屋に案内される。

するとそこには民野健治という検事が待っており、いきなりこういい始めたのだ。

「被疑者として呼んだ。あなたには黙秘権があるので行使することができる。それから〜」

事情を把握できずパニックになった女性秘書が、ほかの秘書か弁護士に連絡したい旨を告げると、民野健治はそれを無視して、逆に、携帯電話の電源を切るように命じ、目の前でスイッチをオフにさせたのだ。

それが昼の1時45分。だまし討ちの「監禁」はこうして始まった。

任意の事情聴取は、文字通り「任意」である。

よって、被疑者であろうが、参考人であろうが、当事者の同意が必要なのは言うまでもない。

仮に、拒否しても、その場を立ち去っても問題はない。

拒否も国民の当然の権利である。

ところが今回「聴取」というだまし討ち監禁は、そうした意向を問うこともなくスタートしている。

民野検事は、女性秘書に小沢と石川が共謀していたことを認めるよう迫り続けた。だが、彼女がそんなことを知る由もない。

女性秘書は石川が小沢の秘書をやっているときは、別の民主党議員事務所に勤めていたのだ。

しかも、当時は与野党に分かれており、自由党の石川秘書についてはその存在すら知らなかった。

そんな彼女が、小沢事務所の会計事務のことを知るすべはない。

その旨を正確に述べると、検事は次のような言葉を並べるのだった。
「いいんだよ、何でもいいから認めればいいんだよ」
「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」
「何で自分を守ろうとしないの。石川をかばってどうするの」

こうした言葉をさんざん浴びせられたが、知りようもない事柄を語れるはずもない。

そこで黙っていると民野検事はこう言い放った。
「あんた、何も言わないのは愚の骨頂だよ」

取り調べ室では時刻もわからない。もうずいぶん時間も経過したのだろう。

ふと見るとそれまでブラインドから差し込んでいた外の光が暗くなっている。

3歳と5歳の子供が待っている保育園に迎えに行かなければならない。

夫でも誰でもいいから迎えに行かなければ、幼い子供たちも心配するだろう。

取り調べ可視化 これじゃ無理だ。

女性秘書は検事に対して、繰り返しお迎えの許可だけを懇願する。

一時的でもいい、必ず戻ってくる。せめて電話を入れさせてほしいと哀願し続けたのだ。


そして、母親の子供を思う気持ちが昂ったその時、検事の発した言葉が、先の「何言っちゃってんの?そんなに人生、甘くないでしょ?」という台詞だったのだ。


その言葉を聞いて、母親はパニック状態に陥った。

手が震え出し、自然に涙がこぼれてくる。

ついには呼吸が荒くなり、過呼吸状態に陥った。

飲み物を所望する。ご希望をどうぞ、と言われたので、「お茶をください」と言った。すると民野検事は事務官を呼び、庁内にあるローソンに買いに行かせた。事務官が戻ってきてお茶を出すと同時に検事はこういったのだ。
「120円、払ってください」

一方、昼間に出かけた女性秘書の帰りがあまりに遅いため、石川事務所のスタッフたちもさすがに心配になってきた。

ちょうどそのころ、検察庁から一本の電話が入った。
「○○さん(女性秘書の名前)からの伝言です。
 今日は用事があるので事務所には帰らないとのことです」と、男の声で名前も名乗らず、それだけ言うと一方的に切れたという。

日が暮れて数時間がたつ。

子供の迎えの時刻が迫ってからは「せめて主人に電話をさせてほしい」「ダメだ」というやり取りの繰り返しになる。

あの小沢一郎の事情聴取ですら、準備に準備を重ねて弁護士を連れ、自らのホテルの部屋という条件で行われたのだ。しかも4時間半である。

一方、女性秘書の「監禁」時間はすでにこの時点で5時間を超えている。

だんだん思考能力も低下してきた、と、のちに弁護士にも語っている

この母親が何百回、同じ「哀願」を繰り返したころだろう。

ようやく検事が「じゃあ、旦那にだけは電話していい」と認めた。
検事の目の前で携帯のスイッチをオンにし、画面に夫の電話番号を表示し、それを見せながら発信ボタンを押した。
子供の迎えだけを頼んだ。

それから次に弁護士への通話をお願いし、しばらくして同じように許可された。
弁護士が健治と「聴取」の中断を交渉し、午後10時45分、事務所を出てから約10時間ぶりに女性秘書は「監禁」から開放されたのだった。

結局、「押収品」は一つも返してもらえなかった。
つまり、東京地検特捜部は、最初からこの若い母親をだまして「監禁」することが目的だったのだ!


ラベル:石川知裕
posted by はなゆー at 04:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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