(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110129-00000066-mai-pol
http://www.asyura2.com/09/news8/msg/446.html
また、エジプト政府と反政府デモ参加者について「政府側は平和的に対応してほしい。デモ隊も政治的な意思表明は暴力的な行動をとらない形でやってほしい」と冷静な対応が望ましいとの認識を示した。
《おまけ》
反米嫌日戦線・死ぬのはやつらだ(熱烈な民主党支持者)
2010年6月12日
http://twitter.com/#!/yaturada/status/15970346657
非暴力で何ができる?時として暴力は必要だ。百姓一揆しかしたことがない、この国のオトナシイ国民。怒り=暴力だろ!
☆映画『実録・連合赤軍』を観ておいおいと泣く
(2008年3月17日の反米嫌日戦線〜日共と社民は左翼小児病以下であることを自覚し、即刻解散せよ!!)
http://anarchist.seesaa.net/article/89851196.html
ところが右翼の鈴木邦男さんは「そんなに簡単に総括するな」、と主張する。
あの事件さえなかったら今も革命運動が燃え盛っていたのか。違うだろう。そんなに簡単に「総括」してはならない。自分たちの無能力、怠惰を棚に上げて、全てを連赤のせいにするな。それを乗り越えて進む力がなかったのだ。敢えて言おう。この程度の「仲間殺し」は歴史上いくらでもあった。輝かしい明治維新の前夜は、長州、土佐、水戸藩などで「仲間殺し」が日常的だった。江戸時代も戦国時代も、源平の時代も「仲間殺し」の時代だ。日本そのものが「仲間殺し」国家だ。しかし僕らは、歴史として見、「そんなこともあるさ」と寛大に容認している。
連赤事件から36年。連赤はまだ客観的な〈歴史〉になっていない。もう50年たったら〈歴史〉になる。明治維新前夜の「天狗党」「天誅組」「新撰組」のように功罪ふくめて語られるようになる。今は「罪」しか言われない。〈歴史〉になるまで待つしかない。(『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社)
うーむ。鈴木さんらしい鋭い指摘だ。
でも、「なぜ、この惨劇を止められなかったのか」、という想いは映画を観た俺自身も含めて、皆がもつのではないか。
若松監督はそんな考えを突き放す。
「少なくとも、死ぬ覚悟もないような連中は、彼らを批判することなんか、できっこないんです。彼らよりも楽なところにいた人間が、批判なんかできないはずです」(『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社)
▼ コメント欄より ▼
> でも非暴力を貫かなければならなかったのだと改めて思います。
イラクでそれがいえますか?
パレスチナで、それを貫き通せますか?
沖縄で、こないだの少女暴行事件が日常茶飯となった時に、黙ってアピール文だけでいられますか?
俺も、連合赤軍やその他新左翼には否定的だったが、おなじ場所にいて非暴力を貫けなかったかどうかとなると自信がない。
俺は島田療育園闘争で、「死んでもいい」と思った。その覚悟を持ってして生きる者の前に、死以上の屈辱、隷属、愛する者の辱めを見せつけられたとしたらどうだろう。
こないだのガザの悲劇――強国アメリカの後ろ盾を得たイスラエルに、何十年辱められ、蹂躙尽くされてなお世界から見捨てられたパレスチナの現状を見て同じことがいえるのか。
若松監督の「死ぬ覚悟もないような連中は、彼らを批判することなんか、できっこない」という言葉の心髄は正にそこにある。
7年前、『光の雨』という映画があった。高橋伴明が作った連合赤軍映画を、俺はずっと見てないと勘違いした。見てないどころか、論評まで旧ホンタに書いていた。それを忘れたのは、その程度の映画ということなのだ。
若松監督が向けた矢の一本は、まぎれもなくその『光の雨』を射ていることだろう。
若松孝二――昔はサドマゾ映画監督とまでいわれた映画界の異端児だ。SM好きの俺は、その若松映画の過去作品を何本か見たが、一つも萌えなかった。エロとしては興奮しないのだ。
なぜか。それを一番知らなければならないのは、実は俺自身だったというのに。
やつらださんの記事を読んで、若松監督の本領が、ここに至って鬼火と燃えたことを確信した。なぜ若松孝二が、かつてエロを通じてサディズムを娯楽としたか、その答えを『実録 連合赤軍』を通して確認したいと思っている。
Posted by 本間康二 at 2008年03月18日
>どんな「理由」があっても、崇高な理想があっても、暴力がすべてをだいなしにしてしまうのです。暴力は一般人には受け入れられないからです。暴力を使えば、一瞬に崇高な理想が地に落ちてしまうのです。
もちろんです。
それをわかっていて、『それでも暴力に訴えなければならない現実もある』と、判断する人も存在するということです。その判断の是非はさておき。
その意味で、パレスチナなどの問題を例示したのでしょう。係争当事者の関係があまりに非対称なので、連合赤軍について語るには不適切ではあると思いますが。
もう一つだけ。
『自分達が被害を受けているから、その原因を作ったと目されるかの暴力は駄目だ』
このような主張では、共感は誘えるでしょうが、他者を説得する材料にはなりません。個別的な事象は例示としての意味はもちますが、あくまで論を支える要素であり、論そのものとしては無力です。
……読み返すとやたら偉そうですね。でも書く。
Posted by sutehun at 2008年03月20日 04:18
暴力についていえば私の場合は中学3年で、マルクスの『賃労働と資本』やレーニンの『国家と革命』を読んでその内容をほぼ受け入れた時点で暴力も容認してしまいました。(マルクス主義は良くも悪くも暴力を内包しています)
でも実際に暴力を行使するかはまた別の話で。
高校の時に校内でベトナム反戦のビラ配りや、反戦集会を平和的に開こうとしたのを学校当局に禁止されてバリケード闘争という一種の「暴力」に進みました。
もっともそこで人を傷つけることも傷つけられることもありませんでしたが。
街頭でも最初はノンヘルで平和的デモをやっていたのが、それでも機動隊員にボコボコ殴られたり蹴られたりするので徐々にヘルメットを被り、角材を持ち、場合によっては石を投げ、となっていったのが私の場合でした。
先日NHKでやっていた日大のノンポリ一般学生が大学の不正と戦ううちにいっちょ前の「暴力学生」になっていく経過とほぼ同様だったと思います。
内ゲバ、粛清についてはまた。
Posted by natunohi69 at 2008年03月20日 04:54
たとえば、あなたでさえ悲憤慷慨している現在の日本の情況……
これを暴力以外の方法で今すぐ解決できる方法がありますか? 追い詰められ、死ぬしかないと感じ取った一定集団がどこかにいたとして、それがほとんど格差社会の底辺にいる者であった時、その暴発を安易、愚直、低劣とだけ批判できますか? あの時代の危機、狂気は、別の形でいま目の前にあるではないですか。
ほんの一押しですよ。“その時”に知らなかった、遅かったではすまないのだ。だからこそ、安直と思われる歴史の一瞬一瞬を、今に照らして精査する必要がある。
Posted by 本間康二 at 2008年03月20日 05:35
>何か行動を起こすということは、正しいか誤っているかの問題ではないのでしょう。
若いから出来ることってのがあるはずです。
彼らの行動を全面肯定はしないけど、勢いでやってしまった事を全否定することは誰にもできないことでしょう。
右だろうが左だろうが、命をかけた行動ってのは美しいものと思える。
「死の美学」ってのが日本人の特有な行動意識にあるはずです。
翻って、いまの日本での「貧困問題」に対する「自己責任」ってので、拳を上げずにいる俺も含めた派遣労働者たちの不甲斐なさは「総括」されるべき問題です。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2008年03月31日 07:06
それから、(日本)社会は必ず良い方向に向かう。この世界には目には見えぬ精妙な力が働いている。
何か、凄い。
学生運動や赤軍派と、沖縄やパレスチナは同列で無いでしょ、一寸、流石に。
デモに参加してこそ、警棒で「死んで構わない」レベルで殴られ、学生運動に関わってるか、関わってそうだと公安が張り付いたり職質で嫌がらせとか、あるけども。
日常生活で普通に酔っ払い米兵が車でブチ当たって来たり、レ●プとか登下校時間帯に学校指定通路で遭ったり、頑是無い子供が家の近くで遊んでるだけでイスラエル兵が射撃遊びで射殺するとか、普通は比べモノにならない。
日常的暴力の度合いが違う。
問答無用で一方的に殺されたり暴行を受ける場合に、抵抗するのは正当防衛で人間固有の権利であり、基本的人権だ。
内ゲバは、ソウで無い。
天狗党とか、昔のソレも肯定出来るモノで無い。
寧ろ、構造的に「外部の序列が閉ざされた組織の内部でヨリ尖鋭化し、組織独自の序列化が極端に現れて『組織内強者』が『組織内弱者』を殺す」のが日本的身内殺し。
強者が権力闘争の挙げ句、弱者を殺す。
姿として醜い。
ソレが内ゲバだし、新選組の内部抗争や局内法度もソウ。
到底、正当防衛で無い。
何故、善悪の是非を判断基準から外すのか?
控え目に言って、余りに変だ。
ま、日本人は今尚、年齢が低くてもソノ意味では変だが。
はなゆーさん紹介の「愛国アニメ」コードギアスに、占領された設定の日本で被占領側が、占領を肯定するイベントに参加した日本人を大量虐殺する場面があり、ソレには更に裏があってレジスタンス側の画策で起きた粗筋なんだけど。
ツイぞ、レジスタンスが優雅に裏切り者を始末した、とのリアルな見方は出なかった。
恐らく、極端な弱い者苛めと苛政肯定と善悪の判断外しは全て連動してる。
限界や時節の判断は善悪と直接的に結び付く。
公理/プリンシパルの無さは、国際社会では致命的な危機を招く事があるが、未だにW.W.Uから学ばないな!
アニメ内の話で、大量虐殺は占領者が行った。
ま、普通ソウだけど。
占領者が被占領側を殺す。
「被」の付く場所がオカシかった、ソレは謝ります。