http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B2%A1%E4%BF%AE
の獄中からの手紙。
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日本の民主主義史上、歴史的政権交代は無残な敗北を迎え、日本全体の右傾化と新自由主義化が再開した状況や、世界の不条理をまえにして、まだくたばことはできません。それでも私に明日は無いかもしれず,観点のみですが一点だけ書き遺しておきます。
私は旧日本赤軍を含めた新左翼運動が既存の体制に異議申し立てを行い、この日本を本気で変革しようとした60年代、70年代の闘いの出現は歴史的必然があり、また意義があったと考えます。後退しようとも、パリコンミューン
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やロシア革命がそうであったように。
しかしそれだけでよかったのか。否。アンチテーゼに終わり、ジンテーゼにかけては資本主義の矛盾を止揚することなどできなかったのです。「新左翼」と全勢力を括って論じることは間違いですが、少なくとも旧日本赤軍としてはそうでした。
自分達の「正義」と「前衛性」を絶対的に正しいとし(特捜部に代表される検察や朝日などマスコミその他も同じ)、具体的状況や発展段階を無視して、議会選挙を含む多様な形の革命ではなく、暴力革命に流れました。労働者階級の前衛としての共産主義者の党による権力奪取であり、それが人民の利益であるのだから少数派であろうとも「プロレタリア独裁」下で克服されるとして、選挙でも勝利する多数派形成の努力を怠りました。その結果としてソ連型社会主義諸国などの敗北があったと言えます。社会主義革命は民主主義の徹底化の上でしか成立しないのです。
この日本でも議会選挙を通しての多数派形成の条件はありました。1989年参院選における社会党圧勝がその例です。
失敗したのは社会党に権力奪取の目的意識性も準備も戦略、戦術も無かったことによります。左翼は機会を逸したのです。
他方,我々日本赤軍は「人民と共に、人民の利益のために」としながら、70年代は自分達の路線を正当化し、一般市民を「人質の盾」とする極左的誤りを繰り返しました。その誤りを認めねばなりません。第3世界などでの高い評価や国内での一部の指示に甘えて、実力を過信し、自分たちを客観視することが出来ませんでした。最後に私の遺言。「人が人らしく生きられる人間の国を」。これで来年も生きているとはずかしいなあ(笑い)。/以上
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つまり、左脳的な思考が肥大して右脳的な人間の在り方を否定していたという事‥「左」翼なのに。
しかも、内容、ッたりー。
相変わらずのお坊ちゃん。
何時、何を如何仕掛けられたか?とか全体像から程遠い。
群盲象を撫でるから一歩も進化して無い。
ま、今のアンチ政権派に、下野なう勢力に誘導されてる自覚が皆無なのも似た様なモンたけど。
次期総選挙で、現有の9議席の維持さえ微妙な共産党、
議席半減必至な社民党(2議席程度のミニ政党に転落か)。
にもかかわらず、危機感はなく、無為無策なまま無駄に時を過ごしている。
“旧左翼”側に多数派形成への意欲が僅かでも残っているのなら、
「社共合併」「社共選挙連合(革新統一戦線)」
も当然検討されてしかるべきだと思うのだが、それもまったくみえない。
彼らは「組織防衛」「教義防衛」「保身」しか頭にないようだ。