2011年04月19日

〔放射能メモ〕広島平和公園の像のモデル佐々木禎子さんの生涯

☆佐々木禎子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E7%A6%8E%E5%AD%90

1945年8月6日、2歳のときに広島市に投下された原子爆弾によって、爆心地から1.7kmの自宅で黒い雨により被爆した。同時に被爆した母親は体の不調を訴えたが、禎子は不調を訴えることなく元気に成長した。1954年8月の検査では異常なかった。しかし、11月頃より首のまわりにシコリができはじめ、1955年1月にシコリがおたふく風邪のように顔が腫れ上がり始める。病院で調べるが原因が分からず、2月に大きい病院で調べたところ、白血病であることが判明。長くても1年の命と診断され、広島赤十字病院(現在の広島赤十字・原爆病院)に入院した。


1955年8月に名古屋の高校生からお見舞いとして折り鶴が送られ、折り始める。禎子だけではなく多くの入院患者が折り始めた。病院では折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じてツルを折りつづけた。8月の下旬に折った鶴は1000羽を超える。その時、同じ部屋に入院していた人は「もう1000羽折るわ」と聞いている。その後、折り鶴は小さい物になり、針を使って折るようになる。当時、折り紙は高価で、折り鶴は薬の包み紙のセロファンなどで折られた。1000羽折ったものの病気が回復することはなく同年10月25日に亜急性リンパ性白血病で死亡した。


運動神経抜群で将来の夢は「中学校の体育の先生」になること。また小学6年生の秋の運動会ではチームを1位に導きその日付は1954年10月25日と記録されており、偶然にも自身の命日となるちょうど1年前であった。

最後はお茶漬けを食べ、一言目に「おいしい」、二言目に「ありがとう」言い残し亡くなったと明かされている。

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posted by はなゆー at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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