https://twitter.com/#!/Hatsuzawa/status/92250030764851200
原口氏が菅総理に「小沢さんは無罪ではめられてるだけじゃないですか。」と直談判したら、菅総理は「そんな事分かっている、だが小沢一郎は総理の座を盗むから」と云ったと。自民が仕掛けた冤罪も利用する総理に求心力なんて有る筈がない。執行部も同罪。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv56728715
デキビジ
ひふみ神示=日月神示
https://twitter.com/#!/kamitogo/status/92349787705311232
今の臣民 幾ら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力ないぞ。黙ってゐても力ある人いよいよ世に出る時近づいたぞ。力は神から流れ来るのぞ。磨けた人から神がうつって今度の二度とない世界の、世直しの手柄立てさすぞ。みたま磨きが何より大切ぞ。
☆帝人事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
帝人事件(ていじんじけん)は、戦前の1934年に起こった疑獄事件。斎藤実内閣総辞職の原因となったが、起訴された全員が無罪となり、倒閣を目的にしたでっち上げと言われた。
でっち上げの背後にいたのは、司法官僚出身で当時枢密院副議長の平沼騏一郎とされる。平沼は五・一五事件で暗殺された犬養毅の後継内閣総理大臣の地位を願ったが、後継の推薦権がある元老・西園寺公望からその志向をファシズム的であるとして嫌われ、推薦候補にすら上らず、また枢密院議長昇格の要望も西園寺の反対で副議長のまま置かれていた。このため、西園寺とこれを支持する立憲政友会主流派を深く恨んで、同党内部の不満分子を抱き込みながら捜査を進めていったという。
また時事新報が記事を書いたのは、ちょうどこの頃、朝日新聞の東京進出が云われており、焦ったためだという。
のちに河井信太郎が帝人事件を評して、次のように語っている。
「塩野季彦司法大臣の大英断により控訴を断念したが、検事が証拠品の検討を怠っていたことが無罪の致命傷になった。掛物によく描かれている、水の中の日影を猿が藤蔓につかまってしゃくろうとしている画になぞらえて、影も形もないものを一生懸命にすくい上げようとしているのが検察の基礎であって、検察には争うことができなかった。」
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