http://www.pluto.dti.ne.jp/mor97512/C07679.HTML
一カ月ほど前、ある新聞に「役所幹部が菅首相のところに行きたがらないのは、菅首相が役人と会うと怒鳴ってばかりいるので、足が自然に遠のいている」という趣旨の記事が載りました。
「本当かな」と思い、取材しました。首相に直接会える役人はそれほど多くありませんが、運よく2〜3人の役人から話を直接聞くことができました。ある役人はこう言っていました。
「たしかに菅総理は怒鳴ってばかりいますから菅総理に会うのは愉快なことではありません。しかし、菅総理のところへ役人が行きたがらない原因は別のところにあります。役所の幹部が行う総理への報告が、どういうわけか、すぐに外部に漏れるのです。外国の政府との交渉途中のことを総理に報告した直後に外部に漏れ、相手国から抗議されたことがありました。交渉は中断されました。どういうわけか、総理の周辺から、しばらくの間は機密にしておかなければならないことが漏れるのです。おそらく、総理のところへは多くの人々が会いに行きます。そこから漏れるのかもしれません。だから、役所の幹部は、みんな総理のところへ行きたがらないのです」
内閣総理大臣、または首相官邸に国会機密を守ることができないとすれば、事は重大です。このことは、しっかりと調査する必要があります。
《おまけ》
☆ギュンター・ギヨーム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%A0
1957年、ドイツ社会民主党(SPD)に入党。クリステルは同党ヘッセン州南部地区事務所の秘書となった。1964年から党の指導員として政治活動に従事。フランクフルト地区の党事務局長となり、1968年からはフランクフルト市議会SPD議員団の事務局長となる。同年市議会議員に当選。翌年のドイツ連邦議会選挙に際しては、地元選挙区のSPD候補であるゲオルク・レーバー連邦交通相の選挙戦に従事、高い得票を得て、組織運営の才を発揮した。レーバーの推薦でギヨームは連邦首相府の経済・財政・社会政策担当秘書となり、ヴィリー・ブラント首相の信頼を勝ち取った。1972年、その勤勉さと事務能力を買われてブラントの個人秘書になる。こうして彼は西ドイツ首相の極秘文書や内輪の会議の内容、さらには私生活までを知りうる立場となった。
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今日はどこの局でもニュースで
前なんとかさんが北朝鮮もとい北方領土行って
またおかしなことやってるみたいなんだけど、
なんで全テレビ局が一斉に放送するの?
いうまでもなく外国の諜報機関とつながっているのは
全マスゴミでしょ