https://twitter.com/#!/sensouhantai/status/108196863689232384
NHKが意図的と思える誤報を出したと言われている13:55は、50音順で「た」の途中。ちょうど名前を呼ぶ係が変わったあたりなので、半分の議員の投票が残っていた時点。
反米嫌日戦線・死ぬのはやつらだ
https://twitter.com/#!/yaturada/statuses/108151090863808512
7時のNHKニュース。予想どおり、「馬淵候補が自グループに海江田以外に投票支持」という代表選決選投票直前に流したデマの件はスルー。
☆馬淵氏の呼びかけめぐりNHKが訂正 民主代表選
(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0829/TKY201108290475.html
http://www.asyura2.com/05ban/ban5/msg/652.html
NHKは野田佳彦財務相、海江田両氏が争った決選投票を実況中継するなかで、男性アナウンサーが「鹿野道彦農林水産相の陣営は野田財務相に一致して投票する方針を確認した。また、馬淵前国交相は今日午前の出陣式で、決選投票になった場合は海江田経産相以外の候補者に投票するよう自らの陣営に呼びかけた」と伝えた。
その後、この中継番組の中で代表選の解説などをしていた政治部記者が「正しくは馬淵さんが『増税はすべきでなく、決選投票になった場合は私の政策に近い海江田さんに投票したい』と表明していた」と説明し、報道内容を訂正した。
☆NHKが民主党代表選中継で「誤報」 馬淵氏の投票めぐり
(ニコニコニュース)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw106856
http://www.asyura2.com/05ban/ban5/msg/653.html
代表選の模様を中継していたNHKは、決選投票が行なわれている最中の13時50分すぎ、馬淵陣営の投票行動に関して、次のように報じた。
「馬淵前国土交通大臣は、今日午前の出陣式で自らの陣営に、決選投票になった場合は海江田経済産業大臣以外の候補者に投票するよう呼びかけました」(横尾泰輔アナウンサー)
ところが、最初の報道から約2時間後の16時ごろ、NHKニュースの中で、政治部の小川航記者が馬淵氏の発言について、訂正した。
「先ほどの特設ニュースの中で、『馬淵前国土交通大臣が今日の午前の出陣式で、自らの陣営に決選投票になった場合は、海江田さん以外の候補者に投票するよう呼びかけた』とお伝えしましたが、正しくは『馬淵さんが増税はすべきではなく、決選投票になった場合は私の政策に近い海江田さんに投票したい』と表現していました」
《おまけ》
☆光文事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%96%87%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1926年(大正15年)12月25日午前1時25分に大正天皇が48歳で崩御したが、東京日日新聞(現在の毎日新聞)が同日午前4時に発行した「聖上崩御」号外及び朝刊最終版(市内版)において、新しい元号として「光文」「大治」「弘文」の3案から「光文」が選定されたと報道した。しかし、実際に宮内省が午前11時頃に発表した新元号は「昭和」であったために誤報となり、新聞社の本山彦一社長が辞意を表明する事態になったが、編輯主幹であった城戸元亮が辞任することで事態が収拾された。
真相については諸説ある。この報道の情報は新元号を決定するための枢密院会議に参加した者からもたらされたといわれているが定かではない。
(略)
また、当時宮内省内に番記者として張り付いていた、東京日日新聞・毎日新聞で長く皇室記者を務めた藤樫準二の回顧によれば、社会部長から「政治部から、「元号が『光文』に決まった」という話が来たのだが」という問い合わせに対し、藤樫は「何も報告を受けていない」と返事したものの、その間に「新元号・光文」と刷られた早刷りの朝刊が配られた、ということである。
当時元号作成の中心に当たっていたのは当時の宮内省であり、それとは全く別個に内閣でも元号案を作成していた。「光文」は宮内省案には全く存在せず、内閣の元号案に提示されているのみであった。宮内省の第3案まで残っていたのは「昭和」「神化」「元化」の3案であり、枢密院議長、倉富勇三郎の日記によれば、その後の調整で1926年(大正15年)12月8日時点で「昭和」を最終候補とし「元化」「同和」を参考とする最終案が決定していた事が明らかになっている。「光文」は選ばれるはずがなかった内閣案の一つが選定作業中に漏れたにすぎず、記者が検証できないまま飛びついたというのが実情とされる。
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