2006年10月17日

昭和八年の清沢洌の言葉

清沢洌(きよさわ・ただし)。自由主義者の知識人であった。

『非常日本への直言』(山本義彦編『清沢洌評論集』岩波文庫、177〜183頁)

http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/587.html

http://d.hatena.ne.jp/eirene/20060927

序に代えて わが児に与う

お前はまだ何にもわからない。が、お前の今朝の質問がお父さんを驚かした。

この書の校正が出来あがって、序文を書こうとしている朝である。お前は「お父さん、あれは支那人じゃないの?」と、壁にかけてある写真を指して聞いた。「ウン、支那人ですよ」と答えると、「じゃ、あの人と戦争するんですね」というのだ。

「お父さんのお友達ですから戦争するんでなくて、仲よくするんです」

「だって支那人でしょう。あすこの道からタンクを持って来て、このお家を打ってしまいますよ」

お前のいうことを聞いていて、お父さんは思わず憂鬱になったんだ。お前は晩生れの七歳で、まだ学校に行ってはおらぬ。母親か女中かに教わって、片仮名でどうやら苗字だけは書くが、ワとアが混線して、行衛が不明になっている程度だ。不便なところに住んでいる関係で、お友達のないことが気の毒なほどだから、外部からの影響のあるわけはない。

それだのにお前は、いつの間に、そしてどうして支那人は日本人と戦争をする人間であることを知り、そうした恐ろしい人をお友達に持っているお父さんを不思議に思うようになったのだろう。

「どこから支那人は日本人をタンクで打つと教わったの?」と、お父さんが聞くと、お前は得意そうに肱を張って「教わらなくたって知っていらア、ちゃんと雑誌で読むんですもの」と答えたのだった。

なるほど読めた。雑誌社の好意で寄贈してくる少年雑誌などの絵を見て、お前は自然に時代の空気を感受してしまったのであるらしい。

        ×

親父がジャーナリストだから、この子も時代の空気を嗅ぐことは早い、と笑ってしまうのには、お前の疑問はあまりにお父さんの神経を刺激したんだ。

「この空気と教育の中に、真白なお前の頭脳を突き出さねばならんのか」

お父さんは、お前の教育について始めて真剣に考えたよ。それと同時に、思わずバートランド・ラッセルのことを想い出したんだ。かれの教育に関する著書の中に、かれの息子が教育期に達して、その教育問題に直面するようになってから、始めて真剣に教育のことを考え、その思索の結果がその著だという意味のことを書いてあった。そしてその後、かれは夫人と共に少年のための学校を経営するようになったはずだ。

ラッセルとお前のお父さんに、天分の相違がどれだけあったところが、子供に対する責任を感ずる点において相違があるものじゃない。お父さんも、今朝、今更ながら人間を偏えに敵と味方に分ける現代の教育に、お前を托さねばならぬことにいい知れぬ不安を覚えたのだ。壁にかかっている写真は、みんなお父さんの先輩や友達なんだ。比較的に世界を旅行したから、欧洲の人の写真もあれば、アメリカ人の写真もあり、またお前が見つけ出したように、支那人の写真もある。しかしこれは皆なお父さんのお友達なんだよ。お父さんのお友達が、たまたま支那人であったり、アメリカ人であるが故に、お前の家をタンクで撃つということがあるもんですか。

      ×

お前はまだ子供だから分からないけれども、お前が大きくなっても、一つのお願いは人種が異ったり、国家が違うからといって、それで善悪可否の絶対標準を決めないようにしてくれ。お前のお父さんはアメリカに行っておった時に、人種の相違で虐められたこともあった。その時には

「なに、こいつらが……」

と燃えるような憤怒を感じたものだが、しかし年齢をとって静かに考えるようになってからは、地球の上から、一人でもそういう狭い考えを持つものが少なくなることを念ずるようになったんだ。

前にもいったようにお前のお父さんは、世界を旅しない方ではない。それから感じたことは、文明というものは国を縦にした国境で決るものであるよりは、世界を横にした文化層で決るということだった。つまり一国の智識階級は、その国内の不智識階級よりも、むしろ外国の同じ層と、かえってよく手が握られ、世界文化の発達のためにつくせる場合がある。世界を縦に区切ることは、決して悪いことじゃない。けれども、これから広い世界に育たねばならぬお前に対して、お父さんは囚えられぬ心構えを望むんだ。

        ×

お前はお父さんが理想主義だと笑うかも知れない。しかしお前が、ものを考える時代になったら、その笑われた理想主義が果して遠道であったかどうかを見てくれ。

こちらからワンといって、先方がただ黙って引込むなら現実主義は一番実益主義だ。しかしこちらがワンというと、先方がそのまま引きさがる保証があるかね。こちらが関税の保障を高くして、先方だけに負わせる仕組が出来れば結構だが、先方も自己防衛から円の下落と、こちらの関税に対抗しないという保証がどこかにあるかネ。先方も困るということは、こちらが困らないということではないよ。近頃の日本のインフレ経済学者の中にも、時代の影響を受けて、こうした一本道の人が多いのは喜ぶべきことだろうか。

お前を対手にして、こんな小難しい理屈でもあるまいが、永遠から永遠に生きねばならぬわれらの国家にとって、いうところの理想主義者は結果において現実主義者であることをいおうがためなのだ。お前がこの文章が分る頃になったら、昭和七、八年の頃のことを歴史的立場から顧みてくれ。

        ×

お前が大きくなって、どういう思想を持とうとも、お前のお父さんは決して干渉もせねば、悔いもせぬ。赤でも白でも、それは全然お前の智的傾向の行くままだ。

しかしお前にただ一つの希望がある。それはお前が対手の立場に対して寛大であろうことだ。そして一つの学理なり、思想なりを入れる場合に、決して頭から断定してしまわない心構えを持つことだ。

お前のお父さんは、一部から非愛国者のようにいわれたことがある。しかし一家に育ったお前として、これほど滑稽な批難はないことが大きくなったら分るはずだ。「九千万という多い国民の中で、自分だけが国家の前途を憂えなければならぬような義務を誰に負わされたか」お前のお父さんは、時々、こんな自問を胸に画いて自嘲したい気持になるほど、真剣にこの国の前途を憂えているんだ。

お前もこの国に生れた以上は、国家を愛するに決っている。が、お前の考えるように考えなくても、この国を愛する者が沢山いることだけは認めるようになってくれ。お前のお父さんも、全然反対な立場に立つ人に対しても、真剣でさえあれば、常に敬意を払って来たんだ。

        ×

お前はお前だ、お父さんはお父さんだ。お前を教育するのに、お父さんの型に入れようというような気持は微塵もない。お前はお前のもっているものを、煩わされることなく発揮すればそれでいい。

お前は一生の事業として真理と道理の味方になってくれ。道理と感情が衝突した場合には、躊躇なく道理につくことの気持を養ってくれ。これは個人の場合にもそうだし、国家の場合でもそうだ。日本が国を立って以来道理の国として、立って来ている以上は、道理に服することが日本に忠実でないというようなことがあるものか。

西洋の誰かは「私は自分が生れた時より、自分の死ぬ時の方が、少し世の中をよくしたと信ずることが願いだ」といった。お前は世の中を救うの何のという夢のような考えを持たないでいい。一生道理のあるところに従った ― そういう確信を持ったようになれば、それでお前のお父さんの願いはたりるのだ。

ただ始めに書いたように現代の教育にお前を托するには、お父さんには相当に不安がある。それが少し心配だが、しかしさらばとてラッセルを真似て学校をたてるだけの甲斐性はあるまい。この現在の空気の下で、出来るだけお前を、道理を把持して動かない人間に導いて行くの外はない。

折も折、今朝の食卓でお前の頑是ない質問があったばかりに、お前に与える手紙がこの著の序文の代りになった。これも何かの想出になろう。

昭和八年三月十四日

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○

《おまけ》

☆清沢洌 『暗黒日記』(東京新聞・特報)

http://www.asyura2.com/0502/war69/msg/264.html

〔要点抜書き〕

●「物を知らぬものが、物を知っている者を嘲笑(ちょうしょう)、軽視するところに必ず誤算が起こる。大東亜戦争前にその辺の専門家は相談されなかったのみではなく、いっさい口を閉じしめられた」(四三年七月十四日)

●「不思議なのは『空気』であり、『勢い』である。(米国にもそれはあるが)日本のものは特に統一的である。その勢いが危険である」(同六月二十七日)

●「空気は怖い。客観性を覆い隠してしまう」と信太氏は話す。「特攻隊の自分でも最後は助かる、これは悪夢に違いないと思っていた。この楽天性は日本人の遺伝子なのかとも思う。裏を返せば、見ざる、聞かざる、言わざる、の“三猿主義”の結果なのだが」

●清沢はさらに統一的な空気が「あれはアカ(社会主義者)だ」「米英的思想だ」といったレッテル張りの排撃で成り立ち、知識層を委縮させた点に注目する。

この点を信太氏は「日本人は決めつけが大好き。相手から学ばず、でかい声を出した方が勝ちになる。この点は右翼でも左翼でも変わらない」と冷静にみる。

●排撃されたのは知識人だけではなかった。言うまでもなく、中国人や朝鮮人に対しては攻撃的だった。

「お前(七歳の長男)は『お父さん、あれは支那(中国)人じゃないの?』と壁にかけてある写真を指して聞いた。『ウン、支那人ですよ』と答えると、『じゃ、あの人と戦争するんですね』というのだ。(略)お父さんは憂鬱(ゆううつ)になったんだ」(三三年三月十四日、『暗黒日記』序文として転載)

●戦争が先か、民心の荒れが先かは微妙だ、と斉藤氏は話す。「戦前も現在と同様に大不況の後、一気に軍国化していった。生活の不安定さは特定の政治方向に引っ張られる条件になる。おぼれる者はわらをもつかむ、という心境なのだ」

●「理解し難いのは、戦前の誤りに対する指摘が『自虐史観』になるという考えだ。海軍の中ですら、日中戦争批判はあった。反省すべきことを反省してこそ、自分の祖国を誇れる。愛国心教育にしても、愛国心は自然にわき上がるもので押しつけるものではない」

「時が経(た)つにつれ、物事を美化したがる」のは「お上の情報を信じたがる」ことと併せ、日本人の悪い癖だと信太氏は指摘する。









posted by はなゆー at 07:24| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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