2007年03月22日

〔メモ〕フィリピンの従軍慰安婦について鹿内信隆氏の証言

1983年当時、産経新聞(サンケイ新聞)社長だった鹿内信隆氏

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%86%85%E4%BF%A1%E9%9A%86

(なお、鹿内信隆氏は1942年当時は主計将校として陸軍省に勤務していたので、陸軍の内情を知る立場にあった)の従軍慰安婦(性奴隷)に関する証言が1983年に刊行された「いま明かす戦後秘史 (上巻)」(サンケイ出版)の29〜30ページ



に記載されているという情報があるのだが、私自身はこの書を未見であり、したがってこの書に、以下の証言が記載されているかどうかについては確認していない。

しかし、とりあえず  φ(..)メモメモ

       ↓

本間軍団の経理部のいちばん偉い人は、私どもの経理学校の上官だった人ですが、名前はここで申し上げないほうがいいとおもう。上陸作戦がすんでから、その人が陸軍省に報告に来られた。経理担当の最高の師団将校ですから。

で、その人の報告は、要するに「すばらしい」というんです。

何がすばらしいのかといったら、マニラ大学の女の学生は全部セレベスとか、方々の島々の豪族の娘たちが集まっていた。

ところが、日本軍がマニラに上陸したら、島に帰れなくなっちゃった。
寄宿舎にいるやつが、みんな孤立しちゃったわけだ。

それを日本の将校がいただくわけだ。

それが、いかにすばらしいかという報告で終始一貫おわっちゃったわけね。その戦況報告のはなしが……。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

なお、関東学院大学教授である林博史(はやし・ひろふみ)氏の文「元日本兵の証言に見る日本軍慰安婦」

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper02.htm

http://www.asyura2.com/07/senkyo32/msg/381.html

には、こうある。

     ↓

元サンケイ新聞社社長鹿内信隆は桜田との対談で、陸軍経理学校時代の話が「慰安所の開設」になったとき、次のように語っている。

「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分――といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」
(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』)

慰安所を担当した主計将校に慰安婦の選別の基準まで軍で教育していたことがわかる。

(略)

元兵士たちの回想を丹念に読んでいくと、日本軍が実質的に慰安所を管理し、時には自ら「慰安婦狩り」を行い、慰安婦に性暴力を強いていたことが浮かび上がってくる。そのことは「募集や契約にさいし(略)日本軍(国)は、その実態を知る立場になく」(秦郁彦)などという弁解がサンケイグループのトップの証言を含めて都合の悪い元日本兵の証言には頬かむりした虚像でしかないことを示している。

posted by はなゆー at 09:23| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 史料倉庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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