2007年07月05日

「帝銀事件」平沢元死刑囚が冤罪であった可能性がさらに高まった

帝銀事件で無実を訴えながら、獄中死したテンペラ画家、故平沢貞通元死刑囚が描いたとみられる「春画」が札幌市内で見つかった。

☆帝銀事件元死刑囚 「平沢春画」? 札幌でまた発見 大金を得た可能性 遺族「動機覆す証拠に」 (北海道新聞)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/36233.html

http://megalodon.jp/?url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/36233.html&date=20070705145446

四八年に起きた帝銀事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%8A%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

では、平沢元死刑囚が逮捕時に、出所不明の大金を所持していたことが有力な証拠となった。だが、戦後間もない事件当時、著名な画家が描く春画は財界などで高額で取引されており、見つかった春画が元死刑囚のものと確認されれば、所持していた大金は春画の報酬で、「金目当て」とされた動機も成り立たなくなる可能性がある。

出所不明金が春画の対価という説は元死刑囚の逮捕直後からあったが、元死刑囚は最高裁で死刑判決が確定するまで、春画を描いたことを否定していた。一流画家にとって、春画で生活の糧を得ていたことを認めることは、画家としての名誉を著しく傷つけることだったからという。平沢元死刑囚は死刑の確定後、春画を描いたことを法廷でも告白したという。

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〔メモ〕帝銀事件の真犯人は「731部隊」生き残りの人物であるとの説

帝銀事件 無限回廊 

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/teigin.htm

警視庁捜査2課で捜査主任をしていた成智(なるち)英雄警視は、極秘裡に捜査を進めており、死の直前に『別冊 新評』(1972年10月)に掲載された手記には、「アリバイその他で、犯人と認められる者は、結局、731部隊に所属していた医学博士の諏訪(三郎)軍医中佐(当時51歳)ただ一人となった。・・・体格・人相・風体は、帝銀、安田銀、三菱銀の生き残り証人の供述による犯人のそれとピッタリと一致している。」と書いている。当時、この証言を元にモンタージュ写真が作成されたが、成智が事件当時の諏訪中佐の動静を遺族や近所の住人に当ったり、写真を入手して検討した形跡がなく、また日本陸軍軍医将校名簿には諏訪三郎という軍医は存在しないということであった。該当する人物は諏訪敬三郎軍医大佐と諏訪敬明(のりあき)軍医中佐であった。

(略)

その頃、読売新聞の大木社会部次長は、731部隊の隊員を必死になって追跡していたが、警視庁から呼び出され、圧力をかけられた事実があった。大木が警視庁に行くと、藤田捜査本部長とGHQのイートン中佐と2世の服部中尉の3人が立っていた。大木はそこで次のように言われた。

「石井部隊(731部隊)は、対ソ戦に備えて保護し温存中である。これを暴かれては米軍は非常に困る。この調査から手を引いてくれ」

このことが明るみになったのは、のちに逮捕されることになる平沢貞通が最高裁で上告棄却によって死刑が確定したあとであった。

また、同じく読売新聞の遠藤社会部記者も、藤田捜査本部長から圧力をかけられた。藤田は遠藤に電話をかけて次のように言った。

「今、君のやろうとしている事件から手を引いてくれないか。権威筋からの命令でね」権威筋とはアメリカ当局のことである。「いろいろ関係があって、石井部隊を君一流のスッパ抜きでやられては困るので、とにかくやめてくれ。この埋合わせは他でするよ」

(略)

1967年(昭和42年)、甲斐文助警部の捜査記録が公表された。事件直後に顧問として招かれた石井四郎731部隊長が「犯人は軍関係者に違いない」と語っていたこと、731部隊が中国などで繰り返していた青酸毒物実験の手口が事件と同じだったことが暴露された。

(略)

松本は、平沢が事件直後に所持していた13万4000円の金の出所について、生活費を稼ぐため、春画を描いて売った金だから日本画の大家としてのプライドから白状できなかったと推論した。

小樽の親族によると、戦後に平沢は春画を描いていたという。また、横浜でも、平沢が描いたとされる春画が3枚見つかっているが、はっきりしていない。

(略)

GHQは731部隊に対し、極東国際軍事裁判で戦犯免責にするという条件と引き換えに、731部隊が持っていた細菌戦や生体実験データを入手していた。だが、この帝銀事件が起こったことにより、GNQはデータを入手したという事実が発覚することをおそれて、日本警察に対し圧力をかけたという疑いがある。

毒薬兵器の使用は、「陸戦の法規慣例に関する条約」(1907年のハーグ条約)で厳禁されており、細菌等の化学兵器の使用は、「窒息性、毒性またはその他のガス及び細菌学的戦争方法を戦争に使用することを禁止する議定書」(1925年のジュネーブ議定書)で厳禁されている。だから、GHQはデータを入手したという事実が発覚することをおそれていたのである。

だが、731部隊員は、特に青酸などの毒物の扱いに慣れていたわけではなかった。そうしたものの扱いに慣れていたのは別の部署だった。

東京の第6陸軍技術研究所、陸軍習志野学校、満州第516部隊だった。これらは、それぞれ化学兵器(毒ガス)の研究、教育、それに、実戦試用開発を受け持っていた。さらに、アセトシアンヒドリンを研究していたのは、謀略戦研究を受け持っていた第9陸軍技術研究所だった。

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★この事件に関する「田仁」氏のコメント

         ↓

この事件(注:ここでは帝銀事件を指す)はコレだけでは終わっていない。

ぶっちゃけ!最近のイラク戦争でも、例のブッシュ大統領「戦闘終結宣言」以降、さらにゲリラ戦が継続して日々死傷者が軍民共に出続けているが、その混乱の最中、実に奇怪な事件が起きている。

それは、繁華街の出店で新開発の「香水」が新発売!皆さん寄ってらっしゃい!旦那さん、奥さんに如何よ?てな具合で、老若男女に匂いを嗅がせた事から始まった。

匂いを嗅いだ人々は皆一様に帰宅後に気分が悪くなり、約40人が重軽傷、数人死亡の惨事に発展、しかし警察の捜査は上手く行かず迷宮入りし、どうやら某情報機関の遅効性毒物の人体実験だった疑いが濃い。

ココからは推測だが、恐らくは中華人民共和国成立以前の国民党支配地域や、ベトナム戦争中の南ベトナム、中南米の「麻薬戦争」中にも類似の事件が起こっているのではないか。

ネットの捜査力が最大限発揮される事を願って止まない。

               ↓

☆モサドとCIAがイラクで毒香水販売? (2006年5月31日の「日刊ベリタ」

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200605310910493

【東京31日=齊藤力二朗】欧州諸国で訓練を積んだモサド(イスラエルの対外諜報機関)や米中央情報局(CIA)要員がイラクの市内で通行人に毒香水を嗅がせており、多数が死亡するに至っていると29日付のイラクのネット紙バスラ・ネットが報じた。「犯行」の目的などは報じていない。

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★私は「帝銀事件」はカネ目当ての犯行ではなく、遅効性毒物の人体実験が目的だったのではないかと疑っている。犯人は、犯行の動機をカモフラージュするために銀行を犯行現場として選択し、犯行後に大金を強奪したのではないか?この大金(紙幣)を使ってしまえば、そこからアシがつくおそれがあるとして、犯人は奪った大金を使わずに焼いたとか、土中に埋めた可能性もあるように思われる(あくまでも憶測であるが)。

posted by はなゆー at 15:58| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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