2007年09月06日

〔英文史料〕安倍首相の祖父・岸信介氏が麻薬取引に関与した可能性

岸信介

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b4%df%bf%ae%b2%f0

氏が、往年の中国における麻薬取引に深く関わりがあった可能性。

岸信介氏の直筆による、往年の中国で暗躍した日本人「麻薬王」の墓碑の存在が明るみに。

岸信介氏ら、往時の日本政府首脳が中国における麻薬取引を実質的に指導した可能性が高いとする史料。

元記事はいずれも8月30日の「Japan Times」。

なお、岸信介氏は1936年10月に、満州国の国務院(満州国における行政機関。同国は議会を持たなかったため、国政の最高機関であった)実業部総務司長に就任している。

☆Opium King's ties believed went to the top
Trader allegedly pipelined 'secret funds' to Tojo, Kishi, other Tokyo bigwigs

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20070830f2.html

http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/705.html

An obscure tomb in a small graveyard at a Chiba Prefecture temple marks the final resting place of Japan's wartime "Opium King," although the site betrays nothing of this dark cloud, nor the relationship the deceased had with key historical figures.

The kanji on what looks like an ordinary tombstone at Soneiji Temple in Ichikawa reads "Satomi-ke no Reii" ("Tomb of the Satomi Family"). The inscription was written by the late Prime Minister Nobusuke Kishi, grandfather of Prime Minister Shinzo Abe, to mark the grave of Hajime Satomi, who died in 1965.

Kishi was a senior government official in the Japanese puppet state of Manchukuo in Manchuria between 1936 and 1939 when he, as well as Gen. Hideki Tojo, reportedly established close relations with Satomi, who at the time headed Hung Chi Shan Tang, a Japanese opium firm that dominated the market in central China during the Japanese occupation.

Kishi had claimed he came to know of Satomi only after the war, saying he wrote the calligraphy on the opium dealer's tombstone at the request of an acquaintance.

☆Narcotics trade boosted army scrip

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20070830f4.html

http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/707.html

Japan used the opium trade of Shanghai's major dealer to prop up the value of its military currency in occupied China during the war, according to a leading expert on China's wartime economy, citing a former secret document.

The latest finding in the document on the Japanese-run opium firm Hung Chi Shan Tang, now kept in the National Diet Library, reveals Japan used opium to gain economic hegemony over Chiang Kai-shek's yuan-based legal tender in the 1940s, using it to bolster the military "gunpyo" scrip, said Hideo Kobayashi, a professor at Waseda University in Tokyo.

☆ Japan profited as opium dealer in wartime China 
Puppet regimes, army paid: document

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20070830f1.html

http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/708.html

In fact, a memorandum dated April 10, 1941, and addressed to Genshichi Oikawa, the China Affairs Board chief, was attached to the document, and Satomi confirmed in the memorandum that his opium trader borrowed operating funds from Tokyo.

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ウィキペディア「里見甫」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E7%94%AB

里見の世話で、戦後の電通や民放に就職した者も少なくなく影響力を保持した。

岸信介らは、阿片で稼いだ金で選挙に出ている。

築いた人脈は、政界、官界、マスメディア、右翼などにまたがり、戦後活躍した錚々(そうそう)たる人物もいた。

里見の墓には岸信介元首相の筆でただ一言「里見家之墓」と記されている。

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《関連記事》

☆満州帝国と阿片 日の丸はアヘンのトレードマーク (2006年5月25日の「反米嫌日戦線」)

http://anarchist.seesaa.net/article/18290735.html

http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/710.html

大阪府三島郡福井村の二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、台湾で必要な阿片の殆どを輸入に頼っている貿易赤字を改善するため、内務省の後藤新平の支持で、ケシ栽培に取り組んだ。モルヒネ純度の高いケシの品種改良に成功して、大阪府・和歌山県・京都府・岡山県・福岡県の医薬品原料の商品作物として、農村の収益を高めた。

さらに、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。このとき陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。戦後右派の黒幕となり日本を動かしていく曲者たちは阿片で莫大な財産を手中にする。

(略)

拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万〜8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。阿片・麻薬の需要は増大し、三井物産と三菱商事が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していた。英仏によって、中国華僑の活躍した東南アジアにも阿片の弊害は及んでいったのだ。実に欧米に成り代わった日本は大東亜阿片圏と言うべき阿片の毒牙をむき、三井・三菱の阿片船がアジアを往来した。

三井物産は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助けた。三菱商事は三井の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいる。

南満州進出、21カ条要求、満州事変と中国への日本の侵略は拡大、さらに日中戦争へと突入する。日本は、中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を次々とデッチあげていく。

これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合った。傀儡政権の満州・内蒙古では堂々とケシが大量栽培されていた。

満州帝国では、約3000万人が20万貫の阿片を吸引し、毎年4万貫の阿片が輸入され、約7万町歩のケシ栽培が行われていたと言われている。

阿片王と呼ばれた二反長音蔵は、満州の長白・臨江・安図へ3回、また満州の熱河省へと指導に赴いている。長白市だけでもケシ栽培は216万坪にもなっていた。中国軍閥の張宗昌(阿片将軍)は日本軍と組んで。吉林・黒竜江省で50〜60万貫のケシ栽培を扱ったという。

内蒙古の山西・チャハルの傀儡政権「蒙古連合自治政府」でも阿片が製造され、張家口には阪田組のヘロイン製造工場があった。阿片・塩・鉱山物が政府の重要な財源となっていたのだ。

日本の占領地経済をまとめていた興亜院が阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていったのだ。

日本軍の占領地で、日の丸を掲げて商人が阿片も販売したため、中国人が、日の丸を阿片販売の商標だと思っていたという笑えない話も残っている。

さすがに、日本政府による阿片販売は国際問題とされ、国際連盟の議題となっている。

天津の日本人居留地は、今や世界のヘロイン製造、及び阿片喫煙の神経中枢として知られている。洋行あるいは外国商会名で経営される阿片あるいはヘロイン魔窟の数はまさしく千を超えている。しかのみならず、白色麻薬を公然販売するホテル店舗、その他の建物が数百ある。……中国人・ロシア人及び外国人が汚れた板の上に横たわっており……魔窟の第1室には朝鮮人の女が。ヘロインと不純物とを混合する仕事に忙しい。……注射は汚い注射器で、時には自製の物でなされる。針は決して洗ったり、消毒したり、取り替えることはない。梅毒が自由に針を介して一人の阿片常用者から他の者へ蔓延する。私は、胸一面が腐って壊疽のような肉塊をなしており、拳全部を差し込むことができるような穴が体にある阿片常用者を幾人も見たことがある。こんな腐敗しつつある辛うじて生命を保っている死体に、麻酔剤の注射器を次から次へと差し込むのである。
(国際連盟阿片諮問委員会議事録よりエジプト代表ラッセル・パッシャの陳述)

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《さらに関連記事〜戦後秘史/伏せられ続けた日本帝国軍の中国「阿片戦略」の詳報》

http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen.html

なお

http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen-7.html

には、以下のように記されている。

        ↓

さて、「事実は小説より奇なり」というが、里見は、A級戦犯として巣鴨プリズンに入りながら、無罪で釈放された。そして言葉すくなに、こう語っているという。

「米国の関係者が、利用価値があるとみて釈放してくれたのではないか」「法廷に提出されたのは供述調書の1部で、阿片取引の収益金の具体的な用途、とくに軍の情報謀略工作関係については、大部分が隠蔽された」

ベトナムで里見機関のやり方を真似た米軍は、麻薬組織をはびこらせ、前線の自軍だけでなく本国にまで、大量の中毒患者を抱込む結果を招いている。

posted by はなゆー at 18:09| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | キャスターメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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