2007年11月30日

宮崎県知事「若者に強制的に農作業をさせる“徴農制”が必要」

宮崎県の東国原英夫知事は、若者に一定期間、強制的に農業を体験させる「徴農制」などの仕組みが必要だと断言した。

☆宮崎知事、徴兵制発言で釈明 今度は「徴農制」必要 (共同通信)

http://www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20071129000419

http://s02.megalodon.jp/2007-1130-0507-36/www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20071129000419

《おまけ》

☆ウィキペディア「文化大革命」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD

原理主義的な毛沢東思想を信奉する学生たちは1966年5月以降紅衛兵と呼ばれる団体を結成し、特に無知な10代の少年少女が続々と加入して拡大を続けた。

しかし次第に毛沢東思想を権威として暴走した彼らは、派閥に分かれ反革命とのレッテルを互いに貼り武闘を繰り広げ、共産党内の文革派ですら統制不可能となり、1968年以後、青少年たちは農村から学ぶ必要があるとして大規模な徴農と地方移送が開始された(上山下郷運動、一般的には下放と呼ばれる)。紅衛兵運動から下放収束までの間、中華人民共和国の高等教育は機能を停止し、この世代は教育及び倫理的に大きな悪影響を受け、これらの青少年が国家を牽引して行く年齢になった現在も、中華人民共和国に大きな悪影響を及ぼしている。

☆ウィキペディア「上山下郷運動」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E9%83%B7%E9%81%8B%E5%8B%95

上山下郷運動(じょうさんかきょううんどう)とは文化大革命期の中華人民共和国において、毛沢東の指導によって行われた、青少年の地方での徴農(下放)を進める運動のこと。下放はそれまでにも行われていたが、文化大革命以後、都市部の青年層に対して、地方の農村で肉体労働を行うことを通じて思想改造をしながら、社会主義国家建設に協力させることを目的とした思想政策として進められた。

この政策は、「農民と労働者を同盟させる」という毛沢東の思想を強化し、青年を農村体験で思想教育し、都市と農村の格差も解消するという大規模な実験であった。一方で、青年が修正主義に向かうのを防止し、都市で深刻になってきた失業問題を一気に解決するほか、無職の青少年の勢力が政治的脅威になる前に都市から追放するという政治的目的があった。

☆ウィキペディア「ポル・ポト」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%88

クメール・ルージュは権力を獲得した後、都市居住者を地方の集団農場へ強制移住させたが、その道程は悲惨を極めた。 生存者の証言によると、病人・高齢者・妊婦などの弱者に対しても一切配慮はなく、中には点滴を引きながら歩く病人、路上で一人で出産する妊婦など地獄絵図であったという。 別の証言では、家族が行方不明になり、“家族が戻るまで家にいさせて欲しい”と訴えた住人は、“そんなに家にいたいのなら死ぬまでいろ”と門に鎖で縛られ、食べ物はおろか水も飲めずに死ぬまで放置されたという。

posted by はなゆー at 05:23| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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