2008年01月27日

2月11日「長谷川テル」を題材にしたテレビ番組が放送される

http://www.minkyo.or.jp/01/2008/01/002222.html

失くした二つのリンゴ〜
日本と中国のはざまで 長谷川テルが遺したもの〜

1937年(昭和12年)、一人の日本人女性がタイプライターを抱え、中国人の夫を追って横浜港から中国・上海へ向かいました。その3ヵ月後に北京郊外・盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突。日中戦争の火蓋が切って落とされます。

彼女の名前は長谷川テル(1912〜47)。当時の満州国の官費留学生として東京に留学していた夫・劉仁(1910〜1947)と共に中国での抗日運動に身を投じ、戦場の日本兵に向けて戦争をやめるよう訴え続けました。当時の日本の軍部とマスコミは彼女を「嬌声の売国奴」と名指しで糾弾しますが、テルは「お望みとあらばそう呼んで頂いて結構です」と毅然と答えます。その一方で、自分が行った放送で日本の家族がどんな恐ろしい目に遭うのか、もう二度と祖国に帰ることは出来ないだろうと苦悩します。

日本が、日本人が、戦争に呑みこまれていった時代。「私は女性として人間として本能的に平和を求めます」と反戦と平和への願いを発信し続けた長谷川テル。志半ばの35歳で、二人の幼い子どもと夫、そして日本の家族と祖国の将来に思いを残して亡くなりました。

番組では、波乱に満ちた中国での生活を経て日本に帰化したテルの遺児、長谷川暁子さんの目を通して、テルの人生に迫っていきます。60年前、時代に抗ったことで、自分にも家族にも大きな傷を残して逝った母。日本と中国、二つの祖国を持つ娘は母の魂をいま静かに抱きしめます。長谷川テルが今の時代に遺したものは何だったのでしょうか。

☆ウィキペディア「長谷川テル」→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E3%83%86%E3%83%AB

長谷川 テル(はせがわ てる、1912年3月7日 - 1947年1月10日)は、反戦活動家、エスペランティスト、抗日運動家。

本名は長谷川照子。エスペラント名はベルダ・マーヨ(緑の五月)。父は土木技師。女優の吉永小百合の母、和枝とその妹の評論家川田泰代は遠縁にあたる。1929年、東京府立第三高女(現在の東京都立駒場高校)を卒業後、奈良良女高師(現在の奈良女子大学)に進学。学内で文化サークルを同級生と伴に作り、エスペラントを学ぶ。

posted by はなゆー at 16:11| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | TVネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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NHKスペシャル
日本とアメリカ
第1回 深まる日米同盟
1月27日(日)午後9時00分〜9時59分 総合
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080127.html
日本がアメリカと国交を開いておよそ150年。
いま日米で何が起きているのか。大きく変質する日米関係を、様々な角度から見つめるシリーズ。第1回は、両国の軍事協力いわゆる「日米同盟」がテーマ。

「基地を提供する」代わりに「核の傘で守ってもらう」という片務的な関係が続いてきた戦後の日米同盟のあり方がいま大きく揺れている。北朝鮮のミサイルの脅威に対抗しようと、急速に配備が進むミサイル防衛。その現場では、日米の情報共有、技術・産業面での一体化が究極まで進んだ結果、集団的自衛権を行使しないという原則や、武器輸出三原則を乗り越える動きさえ出てきている。

911テロ以降、日米の軍事協力は、グローバルな範囲にも拡大してきた。「湾岸戦争の教訓」から日本政府が積極的に始めた海上自衛隊のインド洋での給油活動。政治状況から中断したが、実はその間も水面下で同盟強化の動きが進んでいた。

番組では、ミサイル防衛とインド洋給油活動を巡る日米の動きを取材、日米同盟にどんな変化が起きているのか、その実態を描く。
Posted by ゴンベイ at 2008年01月27日 21:00
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