2008年05月12日

大逆事件:情報公開により「ギロチン社事件」の研究が進展

http://www.kanshin.com/keyword/1439598




その内容が事実であるとすれば、これまで明治以来4件しかないとされてきた刑法73条が規定する「大逆事件」にもう1ページが付加えられることになる。

それだけにこれまで厳重に秘匿されてきたのであろう。

「情報公開」という手続きによって歴史的な事実が、秘匿のベールを脱いでいくことになるかもしれない。


http://anarchism.exblog.jp/61525/

恐喝以外の実行に関与しなかった中浜にも死刑判決が出されたのは、イギリス皇太子や摂政宮へのテロリズムの意志に対しての報復判決で思想を裁いたと理解するしかない。


☆はてなキーワード「中浜哲」の項→

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C3%E6%C9%CD%C5%AF



1897年1月1日-1926年4月15日。

本名、富岡誓 (とみおか ちかい)、筆名として、中浜鉄、浜鉄も使用。

1920年末、加藤一夫の「自由人連盟」に参加。

22年2月、埼玉、蓮田の小作人社に立ち寄り、古田大次郎と意気投合

23年始めにかけ「ギロチン社」と名付けられた集団がたちあがる。

9月、ギロチン社は関東大震災での大杉栄たち活動家の虐殺に直面し、権力者や資本家を直接攻撃する行動に向う

同月、「杉よ!眼の男よ!」という大杉への追悼詩を執筆。

1924年3月30日、リャクを行い、実業同志会事務所から出たところを恐喝犯として逮捕される

1925年5月28日、無期懲役の判決

1926年3月6日控訴院で死刑判決となり4月15日午前10時に絞首された。

山崎今朝弥弁護士に辞世の歌を記したハガキを送る。

「弥生空 魏櫓枕高く 霞往く 黒蝶ぞ我 散る花に 舞う」 





posted by はなゆー at 14:33| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。