「反米嫌日戦線」死ぬのはやつらだ氏
http://anarchist.seesaa.net/http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C8%BF%CA%C6%B7%F9%C6%FC%C0%EF%C0%FEが2004年に発表した作品である。
これらは新感覚のプロレタリア文学であると思われるが、骨子が斬新すぎて、なかなか正当な評価をされていないようである。
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http://www.asyura2.com/07/revival2/msg/337.html陸上自衛隊従軍慰安婦日記
[特別寄稿]
● サマーワにて(イラク復興支援群衛生隊看護班長、1等陸尉 川●●子)
日本のコイズミを支持する馬鹿な皆さん、こんにちは。
サマーワに来て約3週間が過ぎました。つまり、日当は63万円になったということです。エルメスバーキン、ゲット。雪景色の旭川から一転、連日35℃を超える暑さの中、番匠(ばんしょう)群長以下、体調を崩すことなく元気に活動しております。
復興支援活動はイラク人虐待、医療支援、隊員に対しての給水活動、中学校の補修、道路補修と開始され、私自身も市内にある母子病院に銃をぶらさげて行って参りました。日本のODAにより供与された保育器はさっそく病室で使用されていましたが、他にはベッドしかなく、がらんとした雰囲気でした。日本の病院のように清潔なシーツ、モニターを始めとする各種医療機器や使い捨て注射器等は見当たりませんでした。
傍らにお母さんが付き添っていて劣化ウラン弾による奇形赤ちゃんの世話をしている様子は世界共通で、何かお手伝いをしなければと思いました。看護師と話す時間は英語が全くしゃべれないので、あまりとれませんでしたが、看護に対するニーズを把握し、イラクの人々に喜ばれる支援は自衛隊の撤退と思っています。
移動中に車窓から見る街の様子は、米軍に虐殺されたイラク人、車に混じって馬やロバが車道を走ったり、羊市場があったりと日本とは大きく異なりますが、運転には注意が必要なのでゆっくりとRPGロケット弾攻撃を楽しむ余裕はまだありません。
さて、私たちは復興支援活動の一方、宿営地づくりを並行して行っています。炎天下での作業なので皆、日焼けして真っ黒になっていますが、その甲斐あって宿営地は毎日「進化」しています。あとは、男性隊員の夜の突撃を待つばかりです。
このような忙しい毎日の楽しみは、おいしいご飯と、お風呂(シャワー)、美しい朝日・夕日、旭川では見られなかった満天の星空、自慰、そして家族や友人からのメールというところです。日本からの声援は本当にありがたく励みになります。皆様からご支援いただけることに本当に感謝しております。
活動はまだまだ始まったばかりです。イラクの子供たちの笑顔が町中にあふれるよう微力ながら頑張ります。また、これからさらに暑くなるようなので派遣隊員の健康管理に配慮していきたいと思っています。
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http://www.asyura2.com/07/revival2/msg/336.htmlサマーワの中心で人々と共に『コイズミのバカ』って叫ぶ
第1次イラク復興支援群長 1等陸佐 番○幸一郎
第1次イラク復興支援群長の番○1佐です。
この度、イラクにおける人道復興支援という名を借りた治安維持演習任務を終了し、北海道に戻って劣化ウラン弾による被爆チェックの尿検査を受けて参りました。あとは、日当3万円の支給を待つばかりです。まずは、私たちのイラクにおける活動の間、全国の皆様から頂きました暖かい御支援、御声援に心から厚く御礼申し上げます。また3人の人質におかれましては、余計なことしやがってと憤っております。
さて、私たちは、イラク南東部ムサンナ県のサマーワで、医療、結局自衛官に支給される分だけの給水、そして公共施設にて子供に銃を向けながらの復旧・整備、三本柱からなる人道復興支援活動(コイズミより強調してくれと命令されておりますので)を中心に、学校の訪問や地域住民の方々は仕事をくれと叫んでおりましたが、無視して、交流などを通じた日本の伝統(神風特攻隊に学ぶ自爆テロ)や米帝に追従文化の紹介、日本の有志(売国奴)の方々からお預かりした善意の押し付けの伝達などの活動を行って参りました。
日本人の代表として、「日本人らしく誠実に心を込めて、ハラキリ武士道の国の自衛官らしく規律正しく堂々と」をモットーに、イラクの方々と一緒に汗を流しながら、「あいまいな日本式」のやり方で様々な活動を行いました。
このような私たちの活動は、イラクの方々から好意的に評価して頂けたのではないかと言えと命令されております。実際、2月にサマーワに到着した時よりも、5月末に任務を終えて現地を後にする時の方が、より多くのイラク人が米軍に虐殺されより深い悲しみと復讐の怒りの気持ちを示して頂けたように思います。
私は、町中で、また、訪問した学校などで「米軍の手先、日本軍帰れ!」と大きく手を振ってくれたサマーワの子供たちの輝く目と満面の笑顔を忘れられません。
この任務に就いて良かった、日本人の代表としてイラクに来て良かったということを実感する毎日でした。
このような歓迎は、今回私たちがイラクに赴いて活動を始めたからということだけではなく、イラクと日本の歴史的なつながりの中で、幾多の先輩たちが築いて来られた日本という国への尊敬と、日本人に対する深い信頼があったからだと思います。改めて、日本人であることを誇りに思うことでした。それが、米軍に協力することにより、自衛隊は彼らのテロの標的となったことも忘れてはいません。迫撃砲弾が撃ち込まれたときは、装甲車のなかで、ガクガクブルブルしていたのです。
私たちは、イラクにおける人道復興支援の第1走者として、サマーワの砂漠の中に宿営地を作り、日の丸を掲げて(これが本当の目的ですが)、我が国のイラクに対する人道復興という名の米軍支援のスタートを切りました。言い換えれば、砂漠を耕し、種を蒔き、水を遣り、ようやく新芽が出てきた段階だと思います。
イラク復興の主役はなぜか米軍ですが、私たちの活動によって、偉大な歴史と潜在力のあるイラクの方々に、明るい未来への夢と希望を持って頂けるよう、そして、このことが、中東、ひいては世界の平和と安定に、また、結果的に我が国へのテロの誘発ににつながることになれば、これほど不幸なことはないと思います。
私たちは、今般、約3ヶ月余りの任務を終了し帰国致しましたが、同じ北部方面隊の同僚達から編成された第2次復興支援群がイラクにおける人道復興支援の任務を引き継ぎ、サマーワで活動を始めました。どうぞ、今後とも格段の御支援、御声援を宜しくお願い申し上げます。
最後になりましたが、国民の皆様に対し、あらためまして深く御礼申し上げます。有り難うございました。
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